第二次研究室大戦 序章
二十一世紀がはじまろうとしている、二千年十二月に
歴史は繰り返された。
2000年 12月1日
2000年 12月1日、独立国家ナベ研を建国したこともあり、最近まで
良好とはいえないが、なんとか抗争は回避されてきたが私の不満は
つもり積もっていた。
もともと強制労働は、実験はやればやるほど余計なことをやらされて、
実験が増えていくだけと言う状況。
もちろんこれは4年のときから変わっていないので、これまでは実験をできるだけ
ゆっくり人並みにやるようにしていた。
でも7月くらいからはそろそろ急いで実験を終わらせないと、
修士論文を書く時間がなくなるからということで、急ぐことにした。
本来なら実験は遅ければ12月中くらいまでに終わらせれば、
修論を1月中に大急ぎで
書いて提出し、修論の発表用の原稿、OHPなどを2月中につくって発表し、
3月に奴が自分の名前で論文を書くために必要な実験結果をまとめた
ノートを書くというタイムスケジュールでちょっと時間がないがなんとかなるペース。
でも今年は奴が2,3月と留学するということで、
1月末までにすべてを終わらせるということになっていたので、
11月の初めくらいには実験を終わらせなければいけない計算になり、
奴ももっとも遅くても11月末までには実験を終わらせなければいけないと
自分から言い出す(普段はひたすら労働をやらせるために期日など言わない)ぐらい
だったので、
かなり急いで実験をやり始め
た。
これが間違いだった。
7〜9月上旬まで8月の移転のときもギリギリまで私は実験をやっていて、
移転して結局戻ってくることになった後も全力で実験をやっていた。
(まあニューヨークへ行く予定があったのもあるが、それにしてもかなりのペースだった)
とにかく全力で実験を進めていて、あと1ヶ月半あれば
実験が終わるぐらいまで進むと、
突然余計なことを言い出して2週間分くらいの実験が増える。
このときも7月に奴が9月に国際学会に行くということで、休みにするというから
ニューヨークにいくことにして、
ちょうど区切りがついたのに追加の実験
をいわれてキレそうになったが、
極秘にニューヨークに行ってあとで、
それでも修論を書かなければいけないので急いでやった。
そのあと予定されていた実験をやって10月中旬であと2週間もあれば終わると言う状況まで
持っていくと、
また余計な実験をやらされて10日くらい遅れる。
それでも修論を書くのに時間がかかるので頑張って実験をした、
このあと予定では最後の実験になるものがあまりいいデータが出なかったので、別の実験をやるこ
とになった。
この時点で11月中旬だったのだが、さらに突然
「この実験あんまり感度よくないな、もっと感度をあげるか?」
と聞いてきた。
いや聞くという言い方はおかしいな、
正確には奴が勝手に自分自身に問いかけて、自分で納得するために言葉に出しただけ
の独り言、私の意見などさっぱり求めていない。
もし奴が私に意見を求めていたなら、
「4ヶ月以上前からこの感度だ!
時間がないのにいまさら余計なことなんかやってられるか!
事件は会議室で起きているんじゃない!研究室で起きてるんだ!」
と言ってやるところだが、
意見を求められていないのでなにも言わなかった。
もちろん余計な実験を1週間やらされる、
すごくキレそうになりながら実験もとにかく時間がないので大急ぎで終わらせる。
そして最後の実験をやろうとしたのだが、
時間がなうえに、奴に言われている実験はどう考えてもうまくいきそうにない、
そこで簡単な実験を考えて1週間ぐらいで終わるのでそれをやると、
奴に言ったら奴は
「それではだめだ!
実験というのはただやればいいという物じゃないんだ!
まずは私が言ったことをやってみろ!
やってみてだめだったら別の方法を考えればだろ!
楽をしようとするんじゃない!」
と言った。
奴の言葉を強制収容所標準言語から日本語に通訳すると、
「何をくだらない考えを持ってやがる!
お前の実験は俺様の論文を書くための大切な実験だ!
だから俺様の言ったとおりに実験をしろ!
そうじゃないと俺様のほしいデータがそろわないだろう!
それともなにか?
俺様の考えている実験がうまくいかないとでも言うのか?
俺様の考えにいちゃもんをつけようって言うのか?
お前ごときが生意気なんだ!
お前は考える必要などない!
ただ俺様が言ったとおりに実験をやってればいいんだ!」
というようになる。
やる前から失敗しそうな実験ですごくやりたくなかったのだが、
1月末で奴と会わなくなり、大学院も卒業するのでこれまで1年8ヶ月頑張ってきたんだから
ということで、いやいやながら実験をした。