98年度 収容員


  今回は98年度のことを初めて書くので、とりあえず98年度の収容所と 収容員の構成を書くことにしよう。

  前にも書いたことがあるが、うちは収容所が2つある。これに さらに教授専用の部屋がある。
  それぞれの配置は、教授の部屋の2つ隣に1つの収容所がある。 立地条件からもわかるように、ここは教授の監視がかなり厳しく、よく巡回に来る ので、いないとすぐばれるし、労働開始・終了時間も細かくチェックされる、 まさにアウシュビッツという感じ。ちなみに私はこっちの収容員だった。
  もう1つの収容所は教授の部屋がある棟と違うところにあり、監視は甘くなって いて、教授の巡回もほとんどなく、労働開始・終了時間も少しは自由になる。
  この2つの収容所に4年生がそれぞれ3人づつ、計6人収容されていて、さらに 大学院生が1人いた。

  とりあえず、私の収容されていた収容所について。
  4年生は私とH君、Qさんの男2人、女1人。(ちなみにQさんは外人では ありませんのであしからず、このあだ名の由来は近いうちに)
  さらに博士課程4年のDr.Sさん(男)とDr.Sさんの先生のおじいちゃん(62,3ぐらい) がいた。

  今回はとりあえず、Dr.Sさんについて書くことにする。

Dr.Sさんは博士課程4年なので私たちよりかなり年上だったが、ある意味同年代みたいで、 化学については、何を聞いても簡単に答えてくれるので、すごく便利な存在で 困ったときはとりあえずDr.Sさんに聞いとけ、という感じだった。
  さらにDr.Sさんは他にもいろいろなことに詳しくて、とくにパソコンについては すごく詳しかった。また自称走り屋で、車は3ドアのファミリア(AT車)にのっていた。
  ただ、話をするのがこの上なく好きな人なので、話し始めたら止まらなくなる。このため 適当なところで、話を切っていかなければいけないという困った面もあった。 (暇なときはどうでもいいんだけど、実験中はチョットね)

Dr.Sさんの人柄はいろいろなことから推測できる。

  ある日、Dr.Sさんが、かなりご機嫌で部屋に戻ってきた。手には何かの書類を持って いた。
  私は実験をしていたので詳しく聞いていなかったが、その書類を持ってなにかを1人一人に 言って周っていた。
  そして私の番がきた。Dr.Sさんが例の書類を見せてこう言った。

Dr.Sさん「これ、俺の発表した論文なんだ。」

私「あ、そうなんですか」(実験中なので、かなり気のない返事)

Dr.Sさん「まあ、先生(おじいちゃんのこと)と連名で出してるんだけどね。ほら、ここにDr.○○、Dr.Sって書いてあるでだろ」

  このとき、私はまだDr.Sさんが何を言いたいのか、よくわかっていなかった。
  でもこのまま話を終わらすのは、実験で忙しいとはいえ、いくらなんでも何なので、私なりにコメントを付け加える事にした。
  でもうかつな事を話して、話が長くなるのは困るので、当り障りのコメントを考える。
  論文の内容についてはよくわからないし、話が長くなる可能性があるので却下、となるとなにかあるかな・・・。

私「あー、そうですね。ところでこれDr.と書いてあるんですが、Dr.Sさんってもうドクターだったんですか?」

この瞬間、時が止まった。
数秒後、Dr.Sさんのやけにやさしい声色の言葉で再び時が動き出す。

Dr.Sさん「い、いや、た、確かに違うんだけどさ。俺の場合、もう学生というわけでもないからね、 形式上としてDr.と書くんだよ。」
動揺しながらも、すごく丁寧に教えてくれた。
さすがだ、だてに年をとってない。

私「そうなんですか」

Dr.Sさん「そうなんだよ」
ぶつぶつ言いながら、ゆっくりと立ち去っていく
Dr.Sさん「確かにドクターじゃないんだけどさ・・・。」

  このときの後姿はかなり悲しげで、リストラされて退社するサラリーマン はこんな姿をするのだろうか?と思わせるぐらいだった。
  あとでしったのだが、Dr.SさんはDr.と書かれていた事を喜んで、みんなに話して 周っていたらしい。
    いやー、悪い事をしてしまった。でもDr.と書かれていただけで、ここまで喜べて 、一言であんなに落ち込める28歳はそうはいないだろう、おもしろい人だ。
あんな後姿はなかなか見れるもんじゃないな。


  ある日
  教授が学生実験で1日中いないので、アウシュビッツ収容所の収容員4人全員で昼を食べに脱走する事にする。
  少し距離のある所まで食べに行くことになったので、Dr.Sさんの車で行くことにする。
   初めて乗るDr.Sさんの車、運転はもちろんDr.Sさん、H君が助手席、私が助手席の後ろ、Qさんが運転席の後ろに乗ることになった。
  ただ、教授がいつ戻ってくるか、わかったものではないのであまりゆっくりもしていられない。
  そこでちょっと急ぎでお願いしますといった。
  車が発進する。
少したって

Qさん「これってどういうことなの?」

私「どうなんだろうねー」

私「ここは制限速度は何キロなのかな?」

Qさん「40kmでしょ」

私「そうだよねー。僕の席から見ると、速度メーターが50を指しているようにみえるんだけど、これは どういうこと?マイル表示なの?」

Qさん「確か走り屋さんだよね?」

私「確か走り屋さんのはずなんだけどね、どうしたのかな?」

Qさん「4人乗ってるから?」

私「でもこのスピードでは関係ないでしょう」

Qさん「前に車がいるの?」

私「いるときもあるんだけど、基本的にいてもいなくても、あんまり変わらないんですけど」

私「道に迷って探しながら走ってるんじゃない?」

Qさん「でも、出発するときに時間がないって言ったら、『じゃあ、一番早い道で行くか。となるとあの道じゃあ 混んでるから、こっちをつかって・・・。』とかいってたよね」

私「そんなこと言ってたね、それで道に迷う事はないだろうね。じゃあこの状態はなに?」

  こんな話をしていると、ちょうど『右折する』とDr.Sさんが言った。
  わざわざ言うくらいなんだから、走り屋だしスピード出して曲がるんだろうと思って 遠心力に対する態勢を整える。
  なぜかすごく減速していく、対向車でもきたのかな?と思って見たが全くきていない、 どうした?と思っていると、そのまますごくゆっくり右折した。タイヤの音など全くしなかった。

私「これはどう考察すればいいんでしょか?」

少しの間、沈黙が流れる。その間も車はゆっくりと静かに進んでいく。
そして絶えられなくなり、禁断の言葉を発する事になる。(もちろん本人には聞こえないようにね)

私「私の意見としてはですね、世間一般的にはこのような運転を安全運転と言うのではないかと・・・。」

  恐ろしい惨劇だった。世の中、知ってはいけない事というものがあるというが、まさにこれが そうだろう。これを知ってしまったことで消されないことを願う。

  このことからわかるように、Dr.Sさんはちょっと悪く言えばほらふき、良く言えば 過大表現をする傾向がある(良く言ってはいないか?)ので、だいたい話をするときは、 話を半分くらいにして聞いておかなければいけない。


  この話は、Dr.Sさんの人柄を知る上ではあまり重要ではないかもしれないが、 まあせっかくだから書いておく。

  さらにある日
  おじいちゃんが無茶をいいだした。
  Dr.Sさんの実験でシアン化ナトリウム(青酸カリ)を使う事になった、この実験では 最終的にはシアン化ナトリウムを除去しなければいけない。そこでおじいちゃんが言った。
「そんなのバブリングすればいいじゃないですか」
このバブリングというのは、要は無理やり気体として除去するというもので、通常は その発生した気体を吸い出す機械の所でおこなうのだが、その機械がない。
どうなるかというと、

Dr.Sさん「とりあえず、できるだけシアン化ナトリウムの気体が出ないようにするけど、 使う濃度が濃いので気をつけるようにね」(実際、100人くらい軽く殺せそうなぐらい使っている)

私たち「わかりました」

Dr.Sさん「一応確認しておくけど、今日俺が実験をやっているときは、俺の動向に よく注意するように」

私たち「はい」

Dr.Sさん「じゃあ、もし事故が起きた場合の対処の仕方を考えておこう。」

Dr.Sさん「たとえば、俺が『あっ、やばい! 失敗した!』といって、ドアに向かって走り出したら どうする?」

H君「すぐに、追いかけて外に出ます」

Dr.Sさん「そうだな、おじいちゃんは(幸いな事に)部屋の一番奥にいるので、 まちがっても、助けようなんて考えないように!」

私「そうですね、まあ言い出したのは彼ですから。人生もかなり生きていて、 生い先も短いでしょうから、私たちが危険を犯すことはないですよね。死んだ場合は 天寿をまっとうしたとみましょう。」

Dr.Sさん「じゃあ、次のケース。もし俺が『うっ』といって、突然倒れたらどうする?」

私「大丈夫、わかってます、安心してください。Dr.Sさんの犠牲はけして無駄にはしません!  すぐに外に出て、おじいちゃんが出れないように、ドアをふさぎます。だから倒れるときは何でも言いから一言いってから倒れてくださいね」

Dr.Sさん「お前ら助ける気はないのか?」

H君「助ける?誰をですか?」

私「ああ、QさんはDr.Sさんの席とすごく近いから、もしかしたら逃げられないかもしれないからですね。 それなら状況次第では何とか頑張ってみます。」

Dr.Sさん「そうじゃなくて俺を助ける気はないのか?」

H君「はっ?Dr.Sさんをですか?」

私「もう手遅れじゃないんですか?」

H君「無理だよな?」

私「無理というか、自力で動けない人はあきらめるしかないでしょう」

H君「しょうがないよね」

私「うんうん、人間あきらめが肝心だよね」

Dr.Sさん「・・・・・。」

  最悪、自分が犠牲になっても私たちを助けようとするDr.Sさん。
なんていいひとなんだ!
(勝手に犠牲になってもらってるんだけどね)
でもこれはしょうがない選択でしょう、雪山で自分で歩けない奴はおいていけと言うしね。(雪山とは関係ないか?)

  この人については、他にも山ほどあるんだけど、いいかげんもう文章も長いので これくらいで。それにしてもたった一人を紹介するのにこんなにかけていていいのだろうか? 99年度の出来事が次々起こるので、こっちはなかなか更新できない。まあ、またそのうち書くだろう。