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2005年05月31日

48時間移動2 1日目 『陸・海・空の移動』

つい先日、48時間連続でブラジルのマナウスからベネズエラのカラカスまで移動。

そのときにもうこんな移動はなく15時間ぐらいの移動があるだけだと思っていた。

でもよく考えたら、
行きにこんなに頑張って移動したのは途中に見所がある町どころか、
すごく小さい町しかなく泊まってもしょうがないので一気に移動した。

ということは当然帰りも同じ条件になるのだから、
同じぐらいの連続移動になるのは当たり前。

そしてこのようにすぐにまた48時間移動を迎えることになった。

しかしこの移動は、前回の48時間移動とは比べ物にならない非常に大変な移動で南米の移動の中で一番つらかった。

まあ時間も南米の移動の中で第二位なので大変なのは当たり前だけど、
その移動する場所が悪かった。


5月30日、今回の移動の始まりはギアナ高地の奥地にあるロッジからスタート。

すごく小さいボートで2時間かけて川を下ってギアナ高地の玄関口のカナイマという村につく。

ここでそのまますぐにセスナに乗り換え、
6人乗りのセスナですぐさまシウダーボリーバルという町に向けて出発。

ナスカの地上絵のときと同じような飛行機で、
あとのときは結構酔ったけど、
今回は揺れるけど基本的にまっすぐ飛ぶので、
そんなに酔うことなく1時間ちょっとでシウダーボリーバルに到着。

本来ならここにツアー会社の迎えが着ているはずだけど来ていなくて、
自分でタクシーを捕まえてツアー会社のオフィスまで行く。

今日はこのまま夜行便でベネズエラ側の国境の町サンタエレナまで移動する予定、
予約はこのツアー会社がしてくれているので出発までここオフィスでパソコンをしながら待つ。

そして午後6時にタクシーでバスターミナルまで移動、
事前にツアー会社の人にいくらでいくか聞くと3000Bsで行くというので、
ついたときにその値段を払ったら5000Bsといわれる。

でもさっぱりとりあうつもりなく、
思いっきり無視。

するとあきらめて去っていった。

ベネズエラ人、本当に人悪いよなー、
いくらか聞いたんならぼってきてもおかしくないけど、
適正価格払ってるんだからあきらめるだろ普通、
まあ腐っている国なのだからいちいちそんなことを気にしていられない。

どうせもうこんな国とは明日でおさらばなのでどうでもよい。

さてバスの予約はというと、
されているんだかいないんだかよくわからない。

チケット会社のオフィスにいっても人がいなく、
ちょうどそこにバスの運転手がきたのでどうすればいいのかきいたら、
あとで自分が書くからまっていろといわれてまつ。

バスは午後7時から登場開始、
でも皆さんチケットを持って並んでいる。

さて私はどうするのかなー、
とりあえず並んでいて、
バスに乗るときに先の運転手がいたのでどうするんだ?
ときくと、

お金を出せというのでツアー会社に言われた30000Bsを払う、
すると後はそのまま乗れとのことだった。

え?
それっておっちゃんのポケットってこと?

まあいいんだけど、
このバス結構混んでいるみたいだけど大丈夫かなー。

バスは午後7時半に出発する、
30分ぐらい走ったらどこかのターミナルに止まる、
そこで人がいっぱい乗ってくる、
まだ席はちょっと空いているけど満員寸前。
しかもこの会社の人がチケットをチェックしにきたりしていた。

まあ幸い私のところまで来ることなくそのままバスは出発、
でもまた20分ぐらい走ったらターミナルに止まりここで満員になる。

このときもバス会社の人が来てあいている席がないか、
チケット違っていないかなどをチェックしていた。

おい、おい、運転手のオヤジよ、

この路線はどう考えてもポケットに入れれるところじゃないだろ!

もっと人が全然乗らなくてすいているところじゃないと無理だよ!

ベネズエラ人は人が悪くて馬鹿だからなー、
本当にてにおえないよ。

ここでもなんとか私はチェックされることなく、
バスは出発した。

このあとは満員なので乗ってくる人もいなく、
バスはそのまま走っていく。

でも、
ベネズエラ人は本当に馬鹿なので、
なぜか夜行便なのに

サルサが結構な大音量でかかりっぱなし!

サルサって結構のりのりな曲が多い、
なんで夜行便でそんなものを聞かなければいけない?
しかもちょうどスピーカーが私の上にあるのですごくうるさい。

本当にベネズエラ人、馬鹿なんだよねー。
幸い午前0時にとまったから良かったけど、
何度スピーカーを破壊してやろうと思ったことか。

それにこのバス、めちゃボロいんだよねー。

なにせクーラー壊れていて天井の窓開けて走ってるからなー、
クーラー使えないバスってペルー以来だよ。

そしてこのバスはなんと

トイレもついてない!

12時間も走る長距離バスでトイレついていないバスなんて初めてじゃないかなー、
あったとしても南米一(そしてダントツに)物価が安いボリビアぐらい。

ボリビアは経済的にも発展していないし、安いからしょうがないけど、
ベネズエラって石油でかなり儲かってるんでしょ?
物価も南米では相当高い方だし、
こんな経済的にも発展している国でこれって・・・。

まあなにせ腐った国だから何があってもおかしくないけどね。

クーラーないからターミナルに止まると暑いし、
走ると今度は風がやたら吹いてちょっと寒いしと、
ただでさえ船、飛行機と乗り継いできたあとの大変な移動なのに・・・。

1日目にしてかなり体力的によれよれになり、
ほとんど眠れないで夜が過ぎていった。

投稿者 nabe : 17:45 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月30日

最悪のツアー

5月28日、いろいろいった南米のツアーで最悪のツアーにであいました。

これまではウユニ塩湖のツアーで、
ボロい車でやたら壊れて遭難して見所見れなかったりしたのがワースト1でした。

でもそれを上回る最悪のツアーにおそらく南米最後のツアー参加にしてであってしまいました。

それはベネズエラのギアナ高地のエンジェルフォールへと行くツアー、
ギアナ高地は世界遺産に登録されていて、
テプイとよばれるテーブル状の山が外界とを隔絶していて、
その頂上には太古の生態系が残っている特別なところ。

そんなところだけにアクセスも大変で飛行機でしかいけない、
さらにエンジェルフォールはさらにその奥地でボートでしかいけない。

ということで必然的にツアーに参加しなければいけないというところ。

そこで私もツアーに参加しました。
ツアーはシウダーボリーバルというこのギアナ高地に行くのに一番安くいける町からの参加。

各地の日本人宿の情報ノートでシウダーボリーバルにあるAdrenaline Expeditionというツアー会社がすごく良いと評判だったのでここに行きました。

ここの人は英語を話してそれなりに丁寧にツアーの説明をしてくれました。

そして値段はというと230USドル、
あんまり評判がよいのですっかり値切るのを忘れていたけど、
たぶんこれはぼっている値段、
200USドルぐらいが相場のはずなのですでにこの時点でやられたといった感じ。

まあ値切るのを忘れたのは私だし、
30ドルぐらいでよい旅ができるならと割り切ることにする。

早くも不信感を覚えつつも、
翌日の午前7時にオフィスに行く、
そこで朝食を食べて8時半には空港につく。

ここでこのツアーは、
昨日は今日は他に人が集まらないからギアナ高地の村のカナイマに一泊して、
次の日からツアーが始まる、
ツアーは2泊3日だけど実質3泊4日、
でもはじめの1泊は食事とか宿泊もタダ、
といわれていた。

まあタダなら時間はそれなりにあるしいいか、
と思っていたらこの空港に着いたときにこの会社の人が、
ツアーは今日からだけど最後にもう一泊するの?といってきた。

まあ別に一泊してもいいけどというと、
宿泊はタダだけど食事は金がかかるとのこと、
1食10ドルぐらいかかるみたい。

しかも今すぐどうするか決めてといわれた。
そんなんなら朝食食べている間にさっさと言えよ!

しょうがないのでツアーが終わったらそのまま戻ってくることにする。


ここの人は10分ぐらいで飛行機の人が呼びに来るからといってそのまま帰る。

そのあと1時間半何の音沙汰もなし、
オフィスに電話しようかと思ったらやっと呼ばれて飛行機に乗れた。

あんなに朝早くよんだのは何のためだったんだ?

なんだこのツアー会社、あの評判のよさは嘘か?
別のツアー会社と間違えたか?

と思いつつも飛行機に乗る、
飛行機といってもかなり小型のセスナで6人乗り、
そこに荷物が大量に乗っているのでパイロットを合わせて4人と荷物。

飛行機は小型の割にはそんなに揺れることなく1時間15分ぐらいで、
ギアナ高地の入り口のカナイマという村につく。

ここでまた別のガイドがやってきて、
とりあえずお昼を食べるためにロッジに移動する。

ここで食事を食べて他に5人の人と一緒にツアーが始まる。

ツアーはまあ別に普通の内容、
でもかなり小さいボートでキャンプ地へと川を上っていく、
そしてめちゃ雨が降っていてカッパ着ていても全然意味なくて、
かなりつらい移動で2時間ぐらいかけてやっとキャンプ地につく。

ここで1泊して次の日に朝7時に朝食を食べて、
さっさと行けばいいのに8時半にやっと出発。

このギアナ高地は天気が非常に変わりやすいみたいで、
昨日も30分前まで晴天で暑いぐらいだったのに大雨が降ってきたりする。

この日はとりあえず曇っていてエンジェルフォールが見れるかは結構微妙。

1時間半ぐらいかけてトレッキングの入り口について、
そこから1時間のトレッキング。

そしてやっとエンジェルフォールにたどり着く。

このエンジェルフォールはギアナ高地のテプイの中でも最大の面積があるアウヤンテプイと呼ばれる所から流れている。

その周りの景観もよく、
そしてこの滝は世界最長で滝つぼまで979mもあり、
水が下におりるまでに霧になってしまうというところ。

やはり曇っていてきりも多かったのでちょっとみにくかったけど、
まあそれなりには見えたし、なかなか良い。

30分ぐらい見たらなんか下の小さい滝にいくという、
展望台からそれが見えたけどそこに下りたらエンジェルフォール見えなくないか?
でもみんなで行くみたいなので仕方なくついていく。

ついたところは、
恐れていた通りエンジェルフォールがほとんど見えない。

で?
こんなところにきてなにするの?

と思ったら、
なんかガイドがその滝つぼに飛び込んで泳ぎ始めた。

はあ?
それは何かの儀式?
ここで何でそんなことしてるの?

するとガイドは他の人も呼び始めて、
馬鹿な欧米人は喜んで入ってはしゃいでいた。

私にもこいよとガイドが呼んだが、
何いってんだお前?
バカ?
見たいなジェスチャーしてもちろんはいらない。

欧米人本当にバカなんだよねー、
エンジェルフォール見に来るのに高いお金払ってきてるのに、
こんなエンジェルフォールとさっぱり関係ない、
しょぼい滝の滝つぼミニプールにはいって泳いでどうするの?
エンジェルフォールが見えるならいいけど、さっぱり見えないぞ。

こんなしょぼい滝の滝つぼなら自分の国にいくらでもあるだろ!
なんでこんなところで高い金払って入らなくちゃいけないんだよ!

欧米人はレジャー感覚できてるからこんなことになるのかな?
自然を見に来ている私とはそもそも心構えが違うな。


私だけ展望台にもどってもいいかと聞いたがダメだった。

なんとかそのあたりでも少しでも見えるところを探して、
そこからちょっとでも見るようにしていた。

馬鹿は40分近くこんなところに時間を割いて泳いでいた。

そしてやっと上がってきてまた展望台に戻る、
この往復に20分かかったので、
合計で1時間こんな無駄なことに使った。

しかもその無駄に使っているときがかなり天気がよく、
日がさしていたので絶好のビュータイムだったのにもかかわらず。

やっともどってまたエンジェルフォールを見れるようになり、
まだちょっと天気良かったのでそれなりの写真が取れた。

ゆっくり腰をすえてさあ見るぞと思ったら、
戻るよ!
といわれる。

はあ?
まだ10分ぐらいしかたってないぞ!

でも戻るといわれると団体行動なのでどうにもならない。

結局45分ぐらいしかエンジェルフォールを見ることができなかった、
1時間もあのバカなスイミングに時間をとったおかげで。

さらに戻った後もまだ全然時間があり、
キャンプ地に戻ったのは16時半でそのあと日が暮れるまで2時間ぐらいやることさっぱりなし。

なめてるのかこいつら!

エンジェルフォール見にきてこれはかなり酷い、
しかもめちゃ高いツアーで。

これのどこが評判がいいツアーなんだ?
日本人も意外とあんまり何にも考えない人も多いから、
こんな間違った情報になるの?

まあガイドとか食事とかは良かったけど、
でも肝心のエンジェルフォールが長く見れなかったら全然意味ないでしょ!

かなりがっかりしてツアーは次の日に終了。

また飛行機で戻ってきたけど、
飛行場についても誰もいない、
飛行場までの往復の交通も含まれているはずなのにどうなっている?

40分ぐらい待っても誰も来ないのでしょうがなくタクシーでオフィスまで行く、
そして迎えいなかったから自分でタクシーで来たというと、
じゃあお金払うよといわれてお金を払われて終わり。


ツアーもダメなら、ツアー会社も全然ダメ、
まさに最悪のツアーだった。

でも本当に各地の情報ノートにはすごく良いツアーだったのかいてあるんだよねー、
住所とかも間違いないし、もともと日本人従業員がいたところだから、
そのこともいっていたしねー。

前評判が良かっただけにこの落差がいっそう酷く感じられた。


エンジェルフォール自体はすごくいいところなんだけどねー、
南米の見所の中でも1,2位をあらそうぐらいすごいところなだけに、
この最悪のツアーだったのは非常に残念だった。





Salto Angel (Angel falls)






Salto Angel (Angel falls)

投稿者 nabe : 17:39 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月29日

48時間移動 3日目 『やっと移動終了』

5月24日(月曜日)
朝5時過ぎにどこかのターミナルにつく、
ここでかなりの人が降りていく、
どうも私の当初の目的地シウダーボリーバルみたい。

バスはそのまま人を降ろしてのせることなく出発する。

おかげで人が全然いなくなり、
もちろん隣の人も降りていったのでかなり快適。

あとは一路カラカスを目指すだけ、
なのはいいけど、
このバス止まる気配がさっぱりない。

たまーにどこかのターミナルに入るけど、
ブラジルのバスみたいに10分とか20分止まって何かを食べたりできるわけではなく、
人の乗り降りが終わったらすぐに出てしまう。

これってこのまま何にも食べたりできないでカラカスまで行くのかな?

午前9時になってもまだどこにも止まらない。

まあカラカスについてから食べればいいや、
と思い出した10時ごろにどこかのレストエリアに着く。

たいした物はなく、
サンドイッチを食べておく。

ここではみんな下ろされてバスに鍵をかけていた。

他にも7台ぐらいいろいろなバスがとまっていた、
さすがにちょっと疲れてきてぐったりしていると、
なんか私の前でこのレストエリアの警備員ともめている人がいる。

どうも話し振りからすると、
バスにおいていかれたようだ。

ブラジルもそうだけど、
バスの運転手とか何人乗ってるって把握してないんだよねー、
数えている人もいるけど、まったく数えていなくてそのまま勝手に出て行く人もいる。

ここは他にはまったく何もない不毛なところ。
こんなところにおいていかれたらどうすればいいの?
現地人ならバス会社に連絡するなり何とかできるだろうけど、
私のスペイン語ではそんなの全然無理。

これはぐったりしている場合ではない、
あわててバスのすぐ近くに移動して運転手が戻ってくるのを待つ。

置いていかれることなくまたバスは走っていく。


ベネズエラは森林がすごく多く、
町があんまりないので自分がどこに入るのかとかさっぱりわからない。

13時を過ぎても、まだまだ全然森林地帯。
あと2時間ぐらいだろうか、
とおもったら10分ぐらいしたら、
ニョキニョキとビルが生え始めて、
どんどん都会になっていた。

カラカスは標高900mぐらいのところにあり、
私の高度計もそれぐらいをさしていた、
そしてさらに都会になっていく。

どうやらカラカスについた感じ。

13時半、移動を開始してから48時間ちょうどでベネズエラの首都カラカスにたどり着いた。

さすがに疲れているので、
ちょっとバスターミナルで休んでから町に出たいけど、

なにせここはベネズエラの首都カラカス、
聞いた話によるとアメリカ人女性がターミナルで警官に裸にされて尋問されていたとか・・・、
他にも裸にされて賄賂を要求される等々、
とにかくバックパックとか大きい荷物を持ってこんなところにいれたものではないところ。

おりたらダッシュしてとにかくターミナルをでる、
警官とか軍人がいっぱいいてすごく怖い、
走っているとさすがに怪しまれるので早足であるく、
なんかこっち見てるように見えると目が泳ぐねー。

警官とか見つけると見てはいけないものを見てしまった、
見たいな感じですぐ目をそらすねー。

ベネズエラ怖いよー。

とりあえずターミナルを無事に出て、
ちかくに地下鉄があるはずなのでどっちにいけばいいのか聞く、
普通だったら暇そうなポリスに聞くんだけど、

暇そうなポリスは山ほどいるベネズエラ、
そんな人に聞いた日にはカモがネギ(バックパック)背負ってやってきた状態なので、
その辺の屋台のおじさんに聞いて地下鉄へと逃げた。

結局そのままなんにもなくホテルまでたどり着き、
この48時間連続移動は終了した。

かなり遠かったねー、
2000km以上あったからなー。

それもただ同じバス乗っているだけならたいしたことないけど、
バン、船、バス、タクシーといろいろ乗りついて国境も越えて、
待ち時間もかなりあってと大変だった。

まあこんな大変な移動もたぶんこれが最初で最後、
あとはたった15時間ぐらいの短い移動が何回かあるぐらいでしょう。

投稿者 nabe : 15:40 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月28日

48時間移動 2日目 『48時間移動決定!』

5月23日(日曜日)

幸いなことにバスは人が降りていくほうが多く、
あんまり乗ってこなかったので移動させられることはなく、
なんとか寝ることができた。

バスは12時間かかって午前9時にボアビスタにたどり着く、
さっそくベネズエラへのバスを探すと、
ここも1社しかなかった。

でもガイドブックとかにのっていたような国境をそのまま越えて、
ベネズエラの国境の町サンタエレナへといくバスはなかった。

あるのはブラジル側の国境とイミグレーションがある村まで、
そこからはタクシーで行くしかなく、
近いので10分ぐらいでベネズエラに着くといわれた。

うーん、どういうことだろう?
ガイドブックのデータは古いことは多いけど、
こんな根本的に違っていることもないんだけどなー。

まあ会社がここしかなくてそういっているんだからしょうがない、
じゃあ国境までというと午後12時しかなかった。

このバスターミナルもマナウスよりは大きいけどやはりしょぼい、
インターナショナルでベネズエラとガイアナへのバスがでているけど、
まあ行く人ほとんどいないんだろう。

いつもなら有料の荷物預かりがターミナルにはあるので、
そこに預けて町に行けばいいと思っていたのに、
ここにはなかった。

まあボアビスタも小さい町なので見るところもないし、
3時間そのままバスターミナルでまったりすごす。


そしてバスに乗るのだけど、
客がめちゃくちゃ少ない、
乗るときに名簿でチェックするんだけど、
それには4人しか名前がなかった。

思わず、
お兄ちゃん4人しか乗らないの?
と聞くと、そうだよといわれた。

そりゃこれだけ少なければ便数も少ないし、
ベネズエラまで行くこともなくなるよねー。

そもそもこの人数で運転手と車掌の2人で運行していて採算あわないでしょ、
そのうち廃線になるか1日1便(今は3便)ぐらいになるのは時間の問題かな。

なんか途中で乗ってくる人もいたけど、
その人たちはまた途中で降りていって、
最後まで乗っていたのはやはりはじめに乗った4人だった。

バスは久しぶりにぼろいバス、
まあ別に見た目とかは全然問題ないし、
クーラーも十分に効く。

でも窓が普通に開けられるバス、
たぶんこの手のバスはボリビア以来じゃないかなー、
チリ、アルゼンチン、ブラジルのバスは高いだけに良いバスばかりで、
空調完全完備だから窓は開かないようになってるからねー。

道も結構悪くて乗り心地もあまりよくなかった。


2時間半でついてバスを降りる、
なんかかなり小さい村、
ここからはタクシーになるので、
一人で行くと割高なので、
ちょうど現地人のおじいさんとおばさんが一緒にバスに乗っていたので、
ベネズエラにいくの?と聞くと、
そうだといわれたので一緒にタクシーに乗らしてもらう。

あともう一人オランダ人の女性旅行者とで結局バスに乗っていた人全員で移動することになる。

ここはブラジルでベネズエラの方がタクシーが安いからと、
おばちゃんがベネズエラのタクシーを捜しに行く。

10分ぐらいで戻ってきて4人でタクシーに乗っていく、
ブラジルのイミグレーションは1分ぐらいでついて、
そこで出国スタンプをもらう、
なんかめちゃ暇そうな国境だった。

どうもベネズエラ人とブラジル人は出入国フリーみたい、
このおばちゃんたちは何にもしていなかった。
それだと旅行者なんてあんまり来ないだろうからかなり暇なんだろうなー。

ベネズエラのイミグレーションはサンタエレナの町にあるので、
そのままタクシーで町まで10分ぐらいかけて移動する。

おばちゃんたちは町のどこかで降りていった、
私とオランダ人女性はイミグレーションへと行く。

ここのイミグレーションもかなり暇そうだった。

でもベネズエラは悪名高き国で、
とくに国境ではワイロを要求されることがあるらしい、
出さないと裸にされるというかなり困った国。

だからイミグレーションに行くのも私はかなりビビっていた、
でもオランダ人女性はやたらハイテンションでのりのりだった。

お前裸にされるぞ!

そういうことを知らないのだろうか?
ベネズエラに2ヶ月ぐらいるとか行ってたしなー、
こんな危ない国さっさと抜けないといいことないのに・・・。

イミグレーションは心配をよそに全然問題なかった、
そしてじゃあバスターミナルに行こうと、
あるいていこうとすると

「お前バスターミナルまで歩いていくのか?」
とタクシーの運転手にいわれる。

「うん、だって近いでしょ」

「いや、歩いたら1時間ぐらいかかるぞ」

え?
どういうこと?
私のガイドブックの地図には、
ここから徒歩5分とかからない隣の建物のようにかいてある。

どうなっているんだろう?
とりあえずオランダ人女性がホテルに行くというのでそこまでは一緒に乗る。

そしてお金を5ヘアルはらう。

このあとどうするか聞かれて、
「銀行に行ってお金下ろさなければいけないし、
バスターミナルまでいかなければいけない。」
というと5ヘアルでいくといわれた。

4人乗っていたとはいえ、
国境からここまで15分ぐらいかけて1人5ヘアルで、
バスターミナルまで5ヘアル?
本当にそんなに遠いのか?

でも暑いし荷物重いし歩く気にはならない、
どうせ5ヘアルなんて2ドルぐらいなのでタクシーで行くことにする。

とりあえず銀行でクレジットカードのキャッシングでお金をおろしにいく、
でもマナウスであった人にベネズエラは闇レートがあってそっちだとお得だから、
ドルキャッシュをもっているならそれを使ったほうがいいといわれていた。

両替屋いないの?
と運転手に聞くと日曜日だからどこも閉まっているといわれた。
一応探してくれたけどやっぱりなくて銀行でおろす。

そしてバスターミナルに向かう、
バスターミナルは歩いたら本当に1時間ぐらいかかりそうな離れたところにあった。
車で郊外なので70kmぐらいで飛ばして7分ぐらいかかったから相当遠い。

ついたところは確かにバスターミナル、
そして別に新しそうには見えない。

「運転手に前からここにバスターミナルあるの?」
ときくとそうだといわれる。

「結構前から?」
ときくと、
「ずっとここだ」
といわれた。

うーんガイドブックの地図はなにをもってバスターミナルとしているんだ?
どう考えても違う、違うにもほどがあるぐらい違う。
使えないにしてももう少し何とかならんものなのか?


さっそく中に入ってバスを探す、
ここからはシウダー・ボリーバルという12時間ぐらい北に行ったところにある町を目指し、
そこからエンジェルフォールという世界最長の滝へと向かう予定。

でも聞いているとここからベネズエラの最終目的地首都のカラカスまでのバスも扱っていた。

もう17時で移動を開始し始めてから228時間以上たっている、
でもなんかあんまり疲れがない、
カラカスまで20時間ぐらいでダイレクトらしいのでばらばらに乗るよりは早くてよい。

値段も高くはないみたいだし、
これは一気にカラカスまでいってやるか!

ということで、
あんまり深く考えないで48時間移動を決めて、
カラカス行きのチケットを買う。

出発は19時半なのでまた2時間半の待ち。

出発間際になって、
なんか荷物チェックを受けないといけないことがわかり、
あわててそこへ行く、
ドルを抜かれたりしないかと心配していたけど、
たいしたチェックではなくほとんど何も見ないで終了。

あとはテープで包んであけられなくして終わり。

バスはというとかなり混んでいる、
こんなにカラカスにいく人がいるの?
1日1便だから多いのかな。

指定席ではなく自由なので適当に窓側に座る、
どんどん混んできてほとんど満員になった。

でも幸いなことにもう人が乗り込んでこなくなったときにまだ私の隣は空いていた。

これはラッキー、20時間移動は長いので隣がいないとかなり楽でよい。

出発30分ぐらい前にこの状態になってあと10分というところで、
なんか人が乗り込んでくる。

やっぱり満員かと思ったらこの人はバス会社の人で、

席を替われという。

ちょうど私の反対側も1人しか座っていなく、
そっちへ移れ、
といわれた。

なんでうつらなければいけない?

と聞くと、
2人連れの人がいるから、
とのこと。

でも席は自由でしょ、
というと

自由だから替われ
といわれた。

あんまり態度でかいんで頭にきて

やだ!

といってやった。

替われ!

やだ!

替われ!

隣席空いてるから勝手に座れ!

替われ!

無視、無視。

するとあきらめて降りていった。

私は窓側にすわっていて、
本当は20時間も移動するので通路側のほうがいい。

バスのシートはかなり倒れるので隣に人がいると、
とてもじゃないけどまたいで出るとかはできないから、
ことわってどいてもらわなければいけない。

そして窓側はやたら寒い。

もともと南米のバスは冷蔵庫のように冷やすので寒い、
だからもちろん上についているエアコンの吐き出し口は閉めている。

でもみんな閉めているのでそのままでは圧力が上がってしまう、
だから窓側にこっそり吐き出し口がすべての席についている。

よって閉めたとしても窓側は、
その吐き出し口が窓の方を向いていて窓をつたっておりてくる、
打ち下ろしの風があるので寒い。

だから長時間乗る夜行の場合は間違いなく通路側が良い。

しかし今更あとには引けないのでこのまま行くしかない。

ちょうど出発時間になってなんかまた別な人が動いてくれといいに来る。

今度の人はお願いみたいな感じだった、
でも今となってはあとに引けない。

ファミリーだから変わってといわれる。

丁寧な物腰なので私も常識というものを教えてあげる。

「そのファミリーはどこにいるの?
いつ来たの?

こっちは3時間前からターミナルで待ってて、
この席に座ってるんだけど、
なんで譲らなければいけないの?

人がいっぱい入っているときなら譲ってもいいけど、
もうみんな入り終わってしばらくたって、
出発間際にやってきて譲れってどういうことなの?

ベネズエラ人はそれでいいの?」

するとあっさりあきらめて降りていった。
でもまた乗ってきて今度はなんか小さい袋を席に置いていった。

どうもツアーの客か何かで途中で乗るみたい、
まあどっちにしても席とるつもりなら早く並ばないとダメだよね。

やっと出発かなと思ったら、
また辺なのが乗ってきた。

すべての客になんか渡してお金をもらっている。
そのうち私のところまでやってきて私にも言ってくる。

持っているものをみるとターミナル使用料のTaxとかいてある、
でもすごくうそ臭い、あきらかにパソコンのプリンターでお粗末に作ったようなチケット持ってる。

最初はスペイン語理解できない、
何いってるのかわからない、
というように無視していたけど、
しつこいので、

なにそれ?
何で今払うの?
普通乗る前かチケットに含まれてるでしょ。

というけどまだ要求してくるので、
じゃあ払うよ、ポリスの前で払うから一緒にこいよ、
といったらなんかあきらめたように私を無視して次に進んでいった。

あれはなんだったんだろう?
現地人が払ってたから本物なのかな?
でも現地人もここに住んでいる人は1000人ぐらいしかいないから、
旅行者みたいだからあてにならない。

500ボリーバル(約25円)だからみんな気にしないで払っているんだろう、
安いんだけどだまされるのはいまいちだからね。

私の予想ではバス会社の従業員とかもグルであとで山分けみたいなことになっているんだろう。

やっぱベネズエラは人が腐ってるって本当なのかな、
とはやくも人間不信になりながらやっとバスは出発する。

30分ぐらい走ったら止まってポリスチェックがある。

警官が乗り込んできてパスポートとかをチェックしていく、
また裸にされないかと心配していたがここでも何もなかった。

なんか私の隣の席の人はここで乗ってきた、
15歳ぐらいの少年と父親の親子だった。

そのままバスは走っていく、
そしてやっぱりめちゃくちゃ寒かった。

ハーフパンツをロングにして、靴下を履いて、上は厚めの上着、
さらにこれに厚めの大きいバスタオルをかけて寒さをしのぐ、
これぐらいするとちょうどいいぐらい。

でも窓側なので上から打ち下の冷風が顔に当たって冷たい、
しょうがないので小さいタオルを顔にかけて寒さをしのぐ。

凍える寒さって何とかならんものなのかなー、
冷房の調節できないのか南米のバスは?

寒さに凍えながら2日目の夜が過ぎていった。

投稿者 nabe : 17:37 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月27日

48時間移動 1日目 『また恐怖のスルーパス!』

5月22日(土曜日)、この日はアマゾン川のエコロジカルツアーに前日から参加していてアマゾンの少し奥にはいったところに泊まっていた。

宿泊場所を午後1時半にでて移動を開始。

とりあえずアマゾン川の都市マナウスへと戻る。

はじめに7人乗りのカヌーボートに1時間乗り、
さらに小型バンで1時間ぐらい移動して、
今度は中型の船に20分乗ってアマゾン川を横断して、
さらに20分ぐらいタクシーで移動してでやっとマナウスに到着。


マナウスという町は基本的に飛行機かアマゾン川を通る船でしか来ることができない、
でも北側には道路がありベネズエラへは唯一バスでいくことができる。

そのせいなのかマナウスは人口140万人の大都市なのにバスターミナルがすごく辺鄙なところにあり、
セントロからバスで30分ぐらいかかるらしい。

あんまり重要じゃないからか他の都市にはほとんど必ずあるバスターミナル行きというバスがない、
いろんな市バスが前を通るらしいけどホドビアリア(長距離バスターミナル)行きとか通るとかさっぱり書いていない。

まあ北に用がある人がほとんどいないからなのかな。

そして大都会なのでバスはすごくいっぱい走っていて路線も複雑で旅行者にはどれに乗ればいいのかさっぱりわからない。

インフォメーションとかホテルでどれが行くのか聞いてみたけど、
それぞれみんな違う番号のバスをいうので、
本当かどうか怪しい、現地人は長距離バスターミナルなんて行かないだろうしね。


マナウスに戻ってきて最後にツアーのガイドに聞いてみると、
すぐそこのバス停で306番のエアポート行きが経由するといわれた。

ガイドブックにもそう書いてあるのでそれを待つことにする。

でも15分ぐらい待っても全然来ない、
そこへ他の人に聞いたときに言われた422番のバスがやってきた、
マナウスのバスは後ろから乗ってすぐ車掌がいるので、
乗って聞いてみる。

「パラ ホドビアリア?」

車掌何にも言わない

「パラ ホドビアリア?」

なんかニヤニヤしてる

「ホドビアリア!ホドビアリア!」

さらにニヤニヤしていて何にも答えない。
そんなことをしている間にバスは発車する。

何回聞いても答えなくてニヤニヤしていて、
見かねた他の乗客がいかないよといってきた。

このバカ女(車掌は女性)だったらさっさといえよ!
もう発車してんじゃねーかよ!
イエスかノーのどちらかだろ!
頭おかしいんじゃねーのか!

と日本語でめちゃ文句言ってやる。

いろんなところでこんな風に聞いて乗ったけど、
違ったバスにそのまま乗せられたの初めてだよ。

このバカ女なんでニヤニヤしてるんだ?
ビンタぐらい入れてやらないと直らないの?

じゃあ降りる、と言うけど、
バスは次のバス停まで止まってくれなくしっかり500m以上進んでしまう。

また文句を言って降りようとしたら、
バカ女がなんか紙を渡してきた。

それには440とかいてあった。
そしてパラ・ホドビアリアといわれた。

どうやらこれが行くようだ、
もう結構進んでしまい、
先に待っていたエアポート行きのバスがここを通るのかわからない。

もうこの440を待つしかない、
と思っていたらなんか1分もしないうちにやってきた。

これはラッキー、間違えてよかったかも。
といって乗って聞くとホドビアリアを通るという。

場所がわからないので、
ついたら教えてくれ、
といっておく。
ブラジルはポルトガル語だけど、スペイン語でも結構通じるもの。

ちょうど車掌のすぐ裏の席が開いていて、
ここに座って待っていなさいといわれる。

バスは街中を通っていき人がどんどん乗ってくる、
このバスはなぜか降りる人はまったくいなくひたすら乗ってくる一方、
そのうち超満員になってしまう。

まずいなー、
今ついたとして降りれるのかこれ?

私はバスの一番後ろからちょっと行ったところに乗っている。
そして前に行くにはすごくいっぱい立っている人たちの間をかき分けていかなければいけない、

かなりでかいバックパックと小型のバックを持った状態で。

おりれんぞこれは!

なんとか途中でいっぱい降りてくれないかなー、
と思っているけどさっぱり降りていかない。

まあ最悪は、
ゴメンね、ゴメンねといいながらぶつかっていけばよけてくれるだろう。

さてバスは進んでいくけどなかなかつかない、
30分ぐらい乗ってそろそろついてもいいんじゃないのか?
というぐらいなんだけどまだつかない。

ガイドブックには15分~30分ぐらいと書いてある、
道の混み具合にもよるんだろうけどそんなに混んでないのでついてもいいのになー。

するとなんか車掌(また女の人)が話しかけてくる、
ここか?と思ったけど別のことを言っているみたい。
ポルトガル語なのでよくわからない、まあスペイン語でも理解できないかな。

よくわからないので理解できないといっていると話しかけるのをやめた。

はて?なんだったんだろう?
バスはまだ進んでいく、

ん?
なんか今エアポートらしきものが見えたような・・・

確かホドビアリアはエアポートとセントロの間と書いてあったような・・・

今度は私から話しかける、

「お姉ちゃんまだつかないの?
あとどれぐらいかかるの?」
と聞くと、

「ホドビアリアからどこにいくの?」
と聞かれて、


「ベネズエラに行くためにボアビスタまで」
と答える、

「それでいつ出発なの?」
とさらに聞かれる。

いやいやお姉ちゃん、世間話をしている場合じゃないで、
ボアビスタ行きのバスは本数があんまり多くなくてすごく混むという話があるので、
早くつかなければいけないんだから時間だけ教えてくれればいいのに。
まあしょうがないので、

「まだチケット持っていない、これから買うところ」
という、すると

「ボアビスタ行きは18時から21時の間にいくつかでているから大丈夫ね」
と言われてそのまま会話が終わった。

え?
終わり?
会話のキャッチボールになってたかいまの?
肝心のあとどれぐらいでつくという質問の返事がないんですけど?

でも今の会話から1つだけわかったことがある、
それはたぶんこの女・・・

教えるの忘れやがった!

また恐怖のスルーパスをやられた!


しかも一番厄介で遠いバスターミナルで、
ということ、
どう考えてもそういう結論に先の会話からはたどり着く。

今は17時半、
でも遅くなっても大丈夫、
だってチケット持ってないものね。

という考えなのだろう。

そのままなかったことにしようとしているみたいなので、
すぐにもう一度、

お姉ちゃんまだなのか?
いつつくんだ?

と聞くと、
ポルトガル語でなんかいっている、
いまいちよくわからない。

でもなんかすまなそうな顔はしている、
やはり通り過ぎたようだ。

しかしお姉ちゃん曰く、
大丈夫このバスは終点まで行ったら戻ってホドビアリアに行くから、
とのこと。

それでいつつくの?

19時半

なめてんのかお前!
あと2時間ものるんかい!

そんな時間ないから降りて戻っていくバスに乗り換える、
いつ降りればいいと、

スペイン語で何とか伝えてみる。

言いたいことはわかったようで、
降りるところを教えてくれるみたい。

でも5分ぐらいたっても何にも行ってこない、

いつ降りるんだよ!
進めば進んだだけ戻らなくちゃいけないんだぞ!
今降りるんじゃないのかよ!

と適当なスペイン語で文句を言う。
するとまたなんかいってくる、
いまいちよくわからないけど、
どうもこのお姉ちゃんではどこで降りれば戻りのバスが来るところかわからないらしい。

だから前まで行って運転手に降りるところを聞いてといっているみたい。

しょうがないので荷物を背負って前へと歩いていく、
人はまだまだいっぱいいるけど無理やりぶつかりながら通り抜けてやっと一番前までたどり着く。

そして運転手にホドビアリアに行きたい、
だからバス変えなければいけないでしょ、
降りるところについたら教えて。
という、

でもスペイン語がわからないのか、
頭が悪いのか、
このバスもホドビアリアにいくといってきた、

そんなに時間ないんだよ!
降りるところ教えろ!

というと、
今はちょっと外れたところを走っているから待て、
といわれた。

確かになんか細い道で住宅街みたいなところ、
しょうがないので待っているが10分ぐらい進んでもまだ何も行ってこない。

いつ降りるんだよ!
まだなのか!

と何回も言う、
いつでも降りれるようにバックパックを背負ったままで、
バスは右左に曲がるので立っているのも大変。

そしていつもどおりにバスの乗客の注目の的、
まあ一番前に立って運転手に文句を言っているんだから当然といえば当然。
車掌の女ともめているときからかなり目立ってたけどね。

どんどん進んで行き、
通り過ぎたことがわかってからすでに15分以上過ぎている、
進んだ分だけ戻らなければいけないのでかなり時間のロス。

2車線の道を走り出しても何も言わない、
なんか反対側にバス停らしきものがあるのに、
いい加減痺れを切らして、

あれでいいんじゃないのか?
ホドビアリアに行かないのかあそこは?
と反対側のバス停をさして言うと、

行く、とあっさりいわれる。

さっきからずっと同じ道を走ってるよねー、
バス停を10個ぐらい通り過ぎたよねー、
それで私が聞いたらいくって言うんだー、

お前馬鹿だろ!
どこまで連れて行くつもりだったんだよ!
まだ終点まで行ってこのバスで折り返させるつもりだったのかよ!

日本語でも文句を言いまくって降りる。


降りたところはすごく田舎、
まわり森とかいっぱいある。

よりによってなんでめちゃ遠いホドビアリアのマナウスで忘れられるんだよー、
しかもバス乗り間違えてそのバスの車掌に言われたバスに乗ってこのざま。

旅行をしているとたまにあるんだよねー、
こういう神がかり的な不運、
どうしても行かせないような力が働いているとしか思えない事。

ここがどこかもわからないし、
このバス停が先の440番が止まるのかもわからない、
そしてもう日が暮れ始めていて暗くなってきている。

最悪はセントロに戻るしかないけど、
とりあえずホドビアリアに向かう努力だけはしてみる。

ということで久しぶりに検問を張る。

とりあえず来るバスを片っ端から止めていくかどうか聞く検問、
一台も見逃さない!

先に書いたようにマナウスのバスは後ろから乗って車掌にお金を払って、
前の運転手の横から降りる。

車掌に聞くのが一番よいのだけど、
車掌はバスの内側を向いているため、
乗り込んで回り込まないと話をすることができない。

いちいち乗り込むのも面倒、
そこで運転手に聞くことにする。

バスが来ると止まるので、
前のドアは降りる人がいないとあかない、
でもドアをたたいてあけさせて、

ホドビアリア?

ときく、
行かないといわれたら、

いってよし!

と通らせてあげる。

1台目はいかなく、2台目もだめ、
さあ3台目いくか!

と運転手の横のドアをたたこうとしたら、
後ろからお兄さんが、
このバスはホドビアリアに行くからのれ。
といってくれた。

どうやら私が聞いていたのが聞こえていたようだ。

そして車掌にホドビアリアにいくか聞くと、
行くという、
でもこのバスだと遅いから乗り換えて別のバスの方が早いといわれた。

別のバス?降りるところわかんないし、
どれかもわからないし、面倒だからつくならこれでいいよ。

と思って乗っていると、
先のお兄ちゃんがここで乗換えだ、
といって降りるところを教えてくれた。

この人も降りてきてさらにホドビアリア行きのバス乗り場まで着いてきてくれた、
やっぱブラジル人はいい人やなー(バカもいるけど)、
ちょうどこの人も同じ方向のようで一緒に乗る。

しばらく進んでこの人は先に降りていったけど、
降りるときに運転手にホドビアリアについたら教えてあげてと言伝をしておいてくれた。


18時半、やっとホドビアリアにたどり着く、
30分でつく所を1時間半以上かかってたどり着いた、
ちょっとした中距離都市間の移動ぐらいかかった、
そしてかなり疲れた。

マナウスのホドビアリアはやはりバス自体が少ないのでかなり小規模、
この大都市にしてそこいらの田舎のバスターミナルと同等かそれ以下、
一人できていたら絶対わからないようなところ。


さっそくボアビスタへのバスを聞くと、
そもそも1社しかバスを出していないらしい、
そこにいって時間を聞くと20時半と21時と23時があった。

20時半は10ヘアル高かったので21時の70ヘアルのチケットを買う。
いつもはどの席がいい?と選ばしてくれるのだけど、
このバスはかってに決められていた。

日記を書いたりして2時間半時間をつぶす。

そしてバスに乗る、
まあそれなりに乗っているけど、
一人の人は隣に座っている人がいなく、
結構あいている。

さて私の席はというと、

しっかりすでに他の人が座っている。
そしてそのこの周りだけ、
妊婦、子供連れとやたら人口密度が高く、
私の席に座っている人は赤ちゃんを抱いていた。

このあたり一体だけ2人のシートに3人づついるような・・・。

他のところはそれなりにすいているのにここだけやたら混んでいる。

まあしょうがないのでその隣の席に座る。
赤ちゃんとなりで抱かれてもなー、
夜泣きとかしないのかなー、
寝てる間に赤ちゃんにエルボーとか入ってたらどうしよう・・・。

そんなことを考えている間にバスは出発する。

なぜかバスは普通に空いている席もある、
でもこれが落とし穴で移動していると途中で乗ってきて、
夜中に起こされて戻らなければいけないということにもある。

でもとなりが赤ちゃん抱いているからなー、
南米のバスのシートはかなり倒れるので狭そうだしねー、
私はこのままでもいいんだけど、
この親子のために移動するしかない!

わたしはどうでもいいんだよ、本当に。

ということで移動したんだけど、
移動したら私の席に座っていたお姉ちゃん2つのシート使い始めた、
まあそのために移動したといえばそうなんだけど、
これで私の本当の席がなくなったことになる。

最悪の事態としてはジプシーのように、
人が乗ってくるたびに移動してを繰り返さなければいけないなー。

バスがターミナルに止まるたびにビクビクしながら1日目の夜が過ぎていった。

投稿者 nabe : 17:32 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月25日

アマゾン川下りの旅 5日目 『やっと到着!』」

5月18日、朝5時。
まだ日も昇らないうちにどこかの港に近づいてきたみたい、
外を見てみるとあきらかに今までとは全然違う大きな町。

明かりの数、船の数からいっても間違いなくマナウス。

午前5時半ぐらいに港について、
皆さんどんどん降りていく、
でも私はこんな時間に下りていっても危ないし、
ホテル空いてないかもしれないのでそのまま寝て待つ。

ジミーもここで他の船を探すだけなのでまだ寝ている。

午前6時半ぐらいに起きてジミーは次の目的地へ行く船を探しに行く、
私はまだ寝ている。

7時にジミーが戻ってきて見つかったから荷物を持っていく、
とりあえず1つ持っていくからあとのを見ておいてくれといわれる。

わかった、わかったといって、
そのままおきて港を見て待ったりしている、
3分ぐらいで振り返るとジミーの荷物がごっそりなくなってる。

えーーー!

マジかよーーー!

やばい盗まれてしまった!

4つあったダンボール箱があと1つになってる、
盗まれた?人の乗り降り激しいけどそれにしてもこんなにすぐ?

とおもっていると、
なんか変なおじさんが残り1つになったダンボール箱もっていこうとする。

犯人はおまえかーーー!

あわてて捕まえて、

おっさん、何してんねん!

他のはどこや!

というとそのまま箱を持ってついてこいと手まねきする、
なにそれ?つかまったのに何でまだ持っていこうとするの?

そのまま見逃すわけにも行かないのでついていくとジミーがいて、
残りのダンボール箱もそこにあった。

どうもこのおじさんは荷物の運び屋さんでジミーが頼んだみたい、
いきなりなくなるからびっくりしたよ!

この人頭にダンボール箱3つものせて歩いてた。

ジミーが戻ってきて私も船を下りてジミーとホテルを探しに行く、
一応調べておいたのでそこにいくとまあよさそうだったので泊まる事にする。

ジミーは次の船にそのままハンモックでとまるらしいのでここでわかれた。


シャワーを浴びてゆっくりしたときにはもう午前9時だった。

こうして4泊5日の84時間のアマゾン川下りの船の旅がやっと終わった、
なかなか大変な旅だった。


でも実は私が下ってきたのはアマゾン川じゃないんだよねー、
アマゾン川の支流マデイラ川というところ、
まあアマゾン川には4日目の夕方にはついていたので、
12時間ぐらいはアマゾン川を通ったかな、
でも下りじゃなくて上り。

アマゾン川下ったというとすごいなーという感じだけど、
マデイラ川下ったんだよ、といってもどこそれ?となるし、
そもそも貨物船みたいなのだったからなー。

まあアマゾン川(の支流)下りの船の旅、ということにしておきました。


アマゾン川に沈む夕日

投稿者 nabe : 15:16 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月24日

アマゾン川下りの旅 4日目 『ライター売りのジミー』

5月17日、予定では今日がマナウスに到着する日。
朝5時にどこかの港に着く。

でもまだ朝早いのでそのまま寝ておく。

7時半に起きると小さい港町にとまっていて、
8時半に出航するというのでせっかくなので町を見に行ってみる。

かなり小さい町で青色のカテドラルだけが綺麗だった。

ぶらぶらしていると向こうからジミーがやってきた、
どうもまたライターを売って歩いているみたい。

せっかくなので私もついていってみる、
適当に雑貨店とかスーパーなどに入って買わないか?
と聞いていく。

でもなかなか売れない、
たまに売れるけど1つとか2つ。

うーん、こんなペースで売っていて大丈夫なのか?
そこでジミーに聞いてみる。

「ジミー、それいくつ持ってるの?」

ジミー「うーん、だいたい400個ぐらい」

「400個って10個の束を400ってこと?」

ジミー「そうだよ」

「じゃあ4000個ももってるの!
もしかしてあのダンボール箱4つもすべてライターなの?」

ジミー「そうだよ」

「え?ジミー、仕事でマナウスからさらにどこかまで行くとか言ってたけど、
ジミーの仕事ってライター売ることなの?」

ジミー「そうそう、これ売るのが仕事」

なんかのついでに売っているのかと思ったけど、
まさか本業だったとは。

「でもジミーこのペースでそんなに売れんの?」

ジミー「大丈夫、大丈夫、ここではこんなものだけど目的地まで着いたら3日で売り切るよ」

「だってライター4000個だよ、3日で売れるか?」

ジミー「大丈夫だよ、安く売ってるからね」

「安いって1束10ヘアルで売ってるみたいだけど、
そもそもそれいくらで買ってきてるの?」

ジミー「1束3.3ヘアル」

「ということは3倍で売ってるんだ」

ジミー「そうなるかな、日本人計算速いなー」

「でもそれどこでかってきてるの?
ブラジルで買って売りさばいて儲かるの?」

ジミー「ボリビアだよ、俺はリオブランコというポルトーリョの近くのボリビアの国境に近い町に住んでるんだ、ボリビアは物価が安いからそこで仕入れてくる」

ちなみにボリビアは南米一物価が安いところ、
ブラジルからいったら物価は1/5ぐらいになるかもしれないぐらい安い。

「ふーん、ちょっと見せてよ」
といって見せてもらってみてみる、
まあ普通のライター、このあたりの店にはなんかよく置いてあるものみたい。
ボリビア産なのにやたらおいてあるけどジミーが頑張ってるのかな?
と思ったら裏にマナウス産とか書いてあった。

「ん?
マナウス?
あれ、ジミーこれマナウス産と書いてあるように見えるんだけど?
それってこれからいくマナウスのこと?」

ジミー「ああ、そうだよ、
マナウスで作ってるんだよ」

「え?それどういうこと?
マナウスで作ってるのにまたマナウスに持って帰ってきて売るの?」

ジミー「マナウスじゃ売れないよ、工場あるもん、
下手したらつかまっちゃうからね、他のところで売るの、
この会社はチリの会社なんだけど、
ここで作ってチリに持っていって、
それをボリビアに輸出してる。
それをジミーが買ってきて売りさばいてる」

「マナウスからチリに行ってボリビア経由して戻ってくるって、
なんかかなり遠回りだね」

ジミー「まあでもボリビアの方が安いからね」

話によるとジミーはこの仕事を5年前からやっているらしい、
売るところは結構多岐にわたり今回はマナウスからさらに行ったところみたい。

最低1ヶ月に1500ヘアル(約600USドル)ぐらいかせぐらしい、
このあたりのブラジル人の所得は1ヶ月500ヘアルぐらいなのでかなり儲かるとのこと。

そうかー、ライター売ると儲かるのかー、
本業にできるぐらい儲かるとはすごいな。


ライター売りのジミー(実は27歳と私より若い)


船は9時に出港してまたやることのない時間が続く、
ジミーといろいろ話をすることだし、
またスペイン語をいろいろと勉強しておく、
だんだん話せる幅が広がっていく。

そして昼食、
船の食事は飛行機やバスで出る食事と同じでどうせまずいのだろう、
と思っていたがこれがかなりおいしい。

飛行機やバスでは作っておいたものを出すのでかなりいまいちだが、
船だとキッチンがあってできたての物が出てくる。

やっぱり作りたては一番おいしい、
食べるところ狭くて10人ずつぐらいの入れ替えだけど、
量は十分あるのでいっぱい食べられる。

でもおいしすぎてつい食べ過ぎてしまう、
何もしていないのにこんなんではまた太っていってしまう・・・。


昼食後はいつもどおり暑いのでお昼ね、
今日は風が弱くて結構暑い、
寝にくいなーと思っていたらだんだん風が出てくる。

これはちょうどいいと思っていたら、
風はそのままどんどん強くなっていく、
いくらなんでも強すぎる、寒くなってきたぞ、
とおもったらそのまま大雨がふってきた。

極端やなー、
寒くてバスタオルとハンモックに包まって寝ていた。

でも1時間ぐらいでやんでまた暑くなってきた。

スペイン語を勉強して、夕食を食べてジミーと話をしたりしてと、
いつもどおりの変わらない夜が来る。

どうも今日つくことはないようだ、
3日で17日の火曜日につくといっていたのに・・・、
ブラジル人が馬鹿なせいで荷物の積み下ろしに時間がかかるせいか?

ハンモックで寝るのにはなれたけど、
もうそろそろ船の上は飽きてきたので早くついてほしいものだ。

早くついてくれと願いながら4日目の夜が過ぎていった。

投稿者 nabe : 15:05 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月23日

アマゾン川下りの旅 3日目 『ブラジル人は原始人?』

5月16日、朝5時ぐらいにどこかの港に着く、
もう人は10人ぐらいしか乗っていなくてその人たちもあわただしく降りていった。

でもジミー寝ているので私もそのまま寝ている。

7時ぐらいにジミーが起きて、
ここがマニコレという町で船を変えるところだといわれる。

変える船はすぐ目の前にいてそのまま船から船へと飛び移り荷物を移す。

とりあえずハンモックは張ったけどこのままではダメなので、
ジミーに「この町にハンモック売ってるの?」ときくと、

「売っているはず、買うのか?」
ときかれたので、

「このハンモック寒くてダメね、もちろん買う!」

ということで早朝から港町へと繰り出す、
さすがに朝早すぎてまだ店はほとんど開いていなかったが、
それでも開いている店があり、そこにハンモックが売っていた。

ジミーが
「安くていまいちなのと、それなりの値段でいいものとどっちがいい?」
ときいてきたので、

「ムイ・バラート(一番安いの)でいい、だってあと1日しか使わないもん」

ジミーが店の親父に安いハンモックくれと聞いてくれて、
だされたのは25ヘアルした。

もっと安いのないのか?
と聞くと、
20ヘアルのものがあると出してくれた。

もっと安いのは?
と聞くと、
18ヘアルになった。

ジミーに聞くとそんなものだ、
といわれたけど、
まあ他の店も見ようと、
またあとで来るといって出て行こうとすると、
15ヘアルになった。

ジミーが15ヘアルは安いよ、買っとけ。
といったので買うことにした。

店を出たあとジミーが、
「マサは買い物がうまいな、
最安値ぐらいだぞそれ、
船も旅行者なのに現地人価格で乗ってるし」

といってきたので、

「日本人はこんなもんだよ、
欧米人は馬鹿だからホイホイとお金払うけど、
日本人はお金あるけど使わない、安い値段で物を買う、
だから日本人お金持ちなのよ」

といっておいた。

あとはロープを買ってこれでハンモック完成!

ジミーはまたライターを売りに行くというので、
私は船に戻ってハンモックを作って張る。

早速寝てみると、
うーんやっぱり布じゃなくちゃダメだよね!

風をまったく通さないというわけでもないので、
昼間もそこまで暑くはなく、
夜は寒さをしのげる。

アマゾン川を下るのは現地のハンモックに限ります!


ニューハンモック!




新しい船のハンモック群
密度めちゃ高いです


船は午後12時に出るので、
新しいハンモックで寝て待つ、
ジミーと11時に外で昼食を食べて12時40分に出航、
今回はたった40分遅れただけだった。

日中は暑いのでまたお昼ね、
新しいハンモックはなかなか快適でよい。

この船は荷物もいっぱいのせているけど、
客船でもあり、2階がハンモックスペースで横幅が昨日までの船の2倍ぐらいありかなり広い、
でも人もかなり多いので人口密度はさらに高くなってる。
あと船首の方には2人部屋がいくつかありエアコンとかも付いている。
この船は3階建てで3階はバーラウンジになっていてくつろげる。

なかなか広くてよい船だ。

しかし広くなってもやることがないのは同じ、
ひたすら寝たり、ジミーと話をしたり、他のブラジル人と話したり、スペイン語の勉強したりと代わり栄えのしない日。

夜になって21時ぐらいにどこかの港に着く。

そしてまた荷物を降ろし始めたんだけど、
いつもどおり

人力による手!

と思ったら今回はフォークリフトが登場!

これははやくなるのか!

とおもったけどブラジル人は馬鹿なので、
フォークリフトをそのまま船の縁につけて、
あとはいつもどおり手でフォークに板みたいなのを載せていってた。

ある程度のせてフォークリフトがそれをおきに走っていった。

その間にも荷物を降ろそうと板を船外にだしていく。

でも、ブラジル人は原始人なのでー

板をそのまま地面にベタ置きです!

えーーー、それってフォークリフトの意味全然ないじゃん!

地面にベタに置いたらフォークリフトきてもそのままのせれない、
そして奴らは当たり前のように来たフォークリフトにまた手でつみなおしていた。

あまりの悲惨な光景にかわいそうになってくるぐらい、
だれかフォークリフトの使い方教えてあげようよ、
というかいくらなんでも気づくだろブラジル人!

なんでフォークの形しているとか考えないのか?

ジミーにあいつら馬鹿だよねー、
日本だったら下に木をおいて浮かせておいて、
そこでフォークですくうよ。

まあそれよりも、
そもそも船の外に出さないで木で浮かせておいてそのまま持っていけるようにする、
それかもともと台車か何かに乗せれるように浮かせておくよ。

するとジミーも、
ペルーでもそうするね、馬鹿だよあいつら。
といっていた。

ペルー人に馬鹿にされるブラジル人って・・・。


その隣では冷凍した鶏肉の積み下ろしをしていた。

かなり長いトラックを船の横にトラックの後ろがくるようにつけている。
そしてまた3人で手で、
1人がトラックの荷台に投げてあげ、
残りの2人が荷台にいて一番後ろから7mぐらいあるいて1つずつ前に運んで並べていっていた。

奴らに頭を使うということはないのか?
せめて台車ぐらい使おうよ、
7mもいちいち1つずつ持って歩いていかないで、
台車に10個ぐらいのせてそれを運んでおろせばだいぶ楽でしょ。

またジミーと話をする、
「ジミー、あいつら本当に何にも考えてないよね。」

ジミー「たぶん人が余ってるんじゃないの?
仕事なくなるから人力でやるんじゃないのか」

「日本だったらあんなことしないよ、
日本は電動だから、人力なんて使わないよ、
この仕事もクレーンとかうまく使ってやるよ、
仕事速いし、人も少なくていいしね。

ブラジル人めちゃ力ありそうだけど、たぶんこんなことしてるからだね。
日本人が力ないのは全部電動で頭使って仕事してるからだよ」

ジミー「電動とまではいかなくても、もう少しやり方あるよな、これは酷いよな」

あまりにもかわいそうになって見てられなくて、
ハンモックに戻って寝てた。

なんか2時間ぐらいしたら船がまた走り出してた。

あんな簡単なことに2時間と人をあんなにかけるとは・・・、
今はBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)の時代が来るといわれているけど、
ブラジルが先進国になるのはまだ遥か先の話かな。

見てはいけないものを見てしまったな、
後進国の仕事ってこんなものなのかなー、
自分が仕事していたときは早く、楽に、効率よくが一番だったので、
そのまったく逆をしているブラジル人にかなりカルチャーショックを受けた。

ポルトガル語さえできれば教えて上げられたのに、
でも自分で気づかないとすべて人に教えられていてもしょうがないしな、
あれぐらいのことは気づいてもらわないとなー。

教えてあげたいけど教えてあげられない感じ、
神様ってこんな感じなのかなー、
人類の進歩は一日にして成らずやね。

毎日のようにあんなことをしているんだとすると、
あのブラジル人達の進歩には何年かかるんだろうか?

ブラジル人の未来を心配をしながら3日目の夜が過ぎていった。

投稿者 nabe : 14:14 | コメント (1) | トラックバック

2005年05月22日

アマゾン川下りの旅 2日目 『さらばジミー!』

5月15日、朝7時半ぐらいにどこかの港に着く、
ここでいろいろ荷物を降ろしていてかなり時間がかかる。

しかもブラジル人は機械の使い方とかを知らないらしく、
すべて手おろし、ビール缶のケース200個ぐらい下ろしてたなー、
そのあとウィスキーのビン1000本ぐらい下ろしてたねー、
そしてなんか角材とかいろいろいっぱい下ろしてた。

すべて手で!

そりゃ時間かかるよ。

昨日は寒くて寝不足なので寝ておく、
1時間ぐらいたったころにジミーがこれを売りに行くといって、
ライターの10個入りの束をいくつかかかえていた。

「お前も行くか?」

といわれたけど、
「この町何にもなさそうだし、やめとく。」
というと、

「じゃあ俺の荷物見ておいてくれ」
といわれる。

そこには大きい箱が4つと麻袋に入ったものが1つあった。

「わかった見ておくよ、
でもジミー、もう1時間止まってるし、いつでるかわかんないんじゃないの?
おいていかれない?」

「心配要らない、
出発するときは汽笛を鳴らすからそれでもどってくればいいから、
じゃあいってくる」
といっておりていった。

でもその10分後に船は何も言わずにそのまま出発した。

ジミーあきらかにのっていない、
ジミー、乗り遅れやがった!

さらばジミー!



ジミーがこの川の向こうに・・・

と思っていたら、
なんかそのあと小型のボートで乗り遅れた人を運んできていた。

それが3回ぐらいきた、
そんなに乗り遅れるんだからちゃんと汽笛鳴らせよ。

ジミーもこれにのってくるんだろうなーと思ったら、
ジミーはどの便にも乗ってこなかった。

やっぱり、さらばジミー!

ハンモックの方は私で使っておくよー!

荷物は先の港に連絡しておいてくれれば、
「あ、ジミーの荷物?これだよ」と教えるぐらいはしておくよー!

これで今日からは寒い思いをしなくてすむな。

でも船は1kmぐらい走ってまた荷物を降ろすために止まった、
すると10分ぐらいしたらジミーが岸からのってきた。

乗り遅れたのでタクシーでここまで来たらしい。

えーーー、僕のハンモックが・・・。


昨日寝不足なのでそのまま網のハンモックに戻って寝る。

昼間は気温が高く暑いのでちょうどよい、
でも夜が寒いんじゃねー。

昼を食べたあとはというと、
気温が一番高くなり暑いので皆さんハンモックでお昼ね、
私もそれに習ってお昼ね。

人は1日何時間寝れるんだろうか?

記録に挑戦といった感じ。

18時に日が落ちてまた寒い時間が近づいてくる、
夕食を食べてジミーとまた話をする。

あとはガイドブック見てこのあとの予定を考えたり、
スペイン語の勉強をしたりする。

この船は途中で降りていく人が結構いて、
ここまで来るともう1/3ぐらいの人しか残っていない。

22時ぐらいになりさあ寝ようかなと思ったけど、
昨日まで人がいっぱいいて壁がいたのにそれがいなくなり、
風がもろに当たり寒い。

しかも今日は自然の風が強く、
船が荷物を降ろして軽くなったためにスピードも出て、
風がかなり強くいっそう寒い。

なんとか少しでも寒さをしのごうと、
昨日のようにバスタオルを下に敷いて位置を整える。

もう少し頭を上に、もうちょっととハンモックの上でもぞもぞしていると、

ブチ!

と頭の方で音がして、

そのまま

ドン!

と背中から落ちた。

寝ていたジミーがおきて、
「なにやってるんだマサ」
といってきたが、

私にも何がなんだかさっぱり、
背中痛くて動けないっス。

なんとか起き上がって状況を確かめる。

どうやらハンモックの根元が切れて落っこちたようだ。

よりによって今かよー、
いくら段取りのよい私でもハンモックの代わりなんて持ってないよー、
まいったなー、なんとか直らないかなー。

見てみるとなんとか結ぶことで直りそうなのでそれで応急処置としておく。

でももともと小さかったハンモックはさらに小さくなり、
のっているだけで精一杯といった感じ、
寝返りとか横なんて向けたもんじゃない。

もはや風に対抗するとかいう状態ではない、
寝れるだけましといった感じ。

なんかこの船の旅かなりつらいなー。


午前0時にどうにも風が強くてなんともならない、
ジミーに寝袋かりようかと思ったけど、
よく見ると人がいなくなって船の船首のほうにハンモックをはれるスペースがわずかにあいていた。

船首には操縦室や船員の部屋があり、
その裏は当然風がまったく来ないという最高のハンモックポイント。

良いポイントなので埋まってはいるのだが、
ぎりぎりスペースがあいている、

わけでもないんだけど、
ごめん、緊急事態なんで余裕ないです。
ということで無理やりそのスペースにハンモックを張ってやった。

ここは風がまったく来なくて私のハンモックでも何とか寝れるぐらい、
これで寒さは何とかしのぐことができそう。

でもあまりにも寒くて体調がかなり悪化したので、
この旅が始まった1週間目ぐらいのエクアドルのグアヤキル以来の風邪薬を飲む。

あー、早く日が昇らないかなー、
なんとか今日だけでも乗り切らなければ・・・

こうしてひたすらつらい船の旅は2日目を終えていった。

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2005年05月21日

アマゾン川下りの旅 1日目 『極寒の船上』

5月14日、22時間のバスの旅を終えてバスターミナルにつく、
そこで今日船が出ていることを知り、そのまま船着場に直行。

どうも話によると、
私が調べていた火、金曜日の便は客船でアマゾンの中心都市マナウスまで直行で行くらしい。

でもこの土曜日の便は貨物船で船の2階にハンモックを吊れてそこにのっていくらしい、
そしてこの便は途中で乗換えがある。

あんまり良いことないのに値段は客船が80ヘアルなのに、
貨物船で100ヘアルもする。

船着場のチケット売りのオヤジに80ヘアルにならないのか?
と食い下がってみたがダメだった。

そもそもはじめが130ヘアルからスタートしてやっと100ヘアルまで下げたぐらい。

ポルトベーリョはかなり田舎で何もない町で、
次の火曜日まで待つにしてもやることがないのは目に見えている。

体調が悪いでのどうしようかと悩んだけど、
最近ちょっと旅を急いで見ているのでそのままのることにする。



ハンモックはパタゴニアであった日本人にもらった網のものがあり、
このあたりは日中は35度を超えるので涼しくてよいのでこれを使う。

まだ船には人がさっぱりいなかったので早速一番よさそうなところにハンモックを張る。

荷物を柱にくくりつけてちょっと町へと買出しに出る。

そして16時に戻ってくると人が結構乗ってきていて、
しっかり私のハンモックが移動されていた。

お前らー!

まあいまさらいってもどうにもならない、
ついでにポルトガル語はほとんど話せないので、
まあ別にあんまり変わらないからいいや、
とそのままそこにする。


真ん中の網が私のハンモック




2階のハンモック群、いっぱいある

船は17時発だったけど、
しっかり1時間遅れて18時にほとんど日が沈んだところで出発する。

日も暮れたし、明かりはあるけどやることはない、
体調も悪いことだし、寝るかな。

と思っていたらブラジル人に声をかけられる、
陽気なブラジル人は普通にいくらでも声をかけてくるのだが、
残念ながらポルトガル語が話せない私に会話は無理。

でもこの人はスペイン語が話せた。

この人はジミーといい、
ペルー人で今はブラジルで働いているらしい。

久しぶりのスペイン語でいろいろ話す、
やっぱりスペイン語は聞き取りやすいし話しやすくてよい、
ギリギリだけどなんとか普通に会話をするぐらいはできるようになったみたい。

3時間ぐらい話してもう午後10時になるし寝るかな、
というと、

「そのハンモック寒そうだな、
俺の寝袋貸そうか?」
とジミーがいってきた。

「なに言ってるのジミー?
気温30度もあるんだよ、
寒いわけないじゃん、
むしろ涼しげでいいでしょ。
ジミーのハンモックこそ布でできていて暑そうじゃん!」

「まあいいけど、寒かったら俺の寝袋貸すから言えよ。」

そしてそのまま寝る。


午前2時

寒い、寒いよーーー!

寒くて寝てらんないぞ!

えー、ここは南緯7度ぐらいで赤道も近いんですが、


寒いんです!


気温は26度ぐらいあるんだけどー、

船って風を切って走るんだよねー。

常に風がガンガン当たってくるから扇風機の前にいるのと変わんないの。

まあそれだけなら何とかなるのかもしれないんだけど、
船の風って湿ってるんだよねー。

寝ていてなぜか服がちょっと湿っていて、
汗かいているわけでもないはずなのになんで?
と思っていたけど、

どうも船が船首で水しぶきを上げて走っていて、
それが風に乗ってこっちまでくるみたい。

気温25度の湿った風は寝るには結構つらいねー、
ましてや風邪を引いている体調の悪い私にはかなりつらいねー。

やばいこの網のハンモック寒いよ!

あわてて服を着こんで、バスタオルをハンモックに敷いてなんとか服がぬれないようにして寝た。

でも午前4時ぐらいからは寒くて寝れなくて、
早く日昇れ、早く日昇れと呪文のように唱えて日が昇るのを待っていた。

まさかこんな緯度で寒い思いをするとは思っていなかった。

凍えながらアマゾン川下りの船の旅1日目が過ぎていった。

投稿者 nabe : 13:10 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月20日

ついに封印をとく!

5月13日、この日はブラジルのクイアバという町からポルトベーリョという北西にいった町までの1500kmを24時間かけて移動する。

でもこんなときによりにもよって体調が悪い、
のどが痛いのでどうも風邪をひいたような感じ。

しかしこのチケットは40USドルもするのでいまさらキャンセルできない、
まあまだそんなに悪くないしのっているうちに直るのでは?

もし直らないにしても移動したあとのポルトベーリョは、
どうせ次の移動まで3日ぐらい待たなければいけないのでそこで回復すればよい。

ということであんまり深く考えずにそのままバスに乗った。


クイアバなどはすでに赤道にかなり近づいてきていることもあり非常に暑い、
気温が30℃をいつも超えるようなぐらい。

それとはまったく関係ないはずなのだが、
ブラジルのバスはやたらと冷房がかかる。

というか寒い!

冷蔵庫かここは?
というぐらいで、
気温は20度をきりそうなぐらいまで下がる。

皆さん寒いことがわかっているので、
長袖にジャケットを着たりしている、
あと標準装備としてちょっと厚めの毛布を持ち込んでいる。

外が暑い分を中で寒くして平均するとちょうどいいぐらい、
とでも考えているのだろうか?

冷房いっぱいかけたら燃費も悪くなるし、
みんな寒いおもいをしていいことない。

基本的にブラジル人は陽気、そして馬鹿です。

私が始めてブラジルのバスに乗ったのはイグアスからサンパウロで、
まったくそんなこと知らないで半そでにハーフパンツでのって、
凍えて死ぬかと思った。

ということでそれからは装備をちゃんとするようにしていたが、
それでも寒いのでついに一度は使わなくて重いので捨てたバスタオルを、
ここクイアバで厚めの大きい奴をわざわざ買いなおした。

荷物になるし、重いのだが寒いのはかなわないのでしょうがない。


ということでちょっと不安には思っていた24時間のバスの移動は、
やっぱり夜はめちゃ寒かった、
バスタオル買ってなかったら死んでた。

体調悪いのにあの気温はきつかったねー、
ブラジル人でも寒くて困ってるぐらいだったからなー、
あの冷房は温度の調整とかできないものなのか?


よれよれになりながら予定より2時間早く22時間ぐらいでポルトベーリョのバスターミナルにつく、
さっそくセントロにでてホテルを探してここから次の目的地へのマナウスの船のチケットを探さなければ。

と思ってセントロ行きの市バスのバス停を探していたら、
ブラジル人が声をかけてくる。

ブラジル人は陽気で馬鹿だけど、非常に親切でもある。

なにを探してるんだ?
と聞かれて、

セントロに行くバスを探しているといおうと思ったけど、
そういえばマナウスに行くのは船か飛行機しかないのかな?
もしかしてバスとかでいけないのか?
と思い、

マナウスに行きたいんだけどー
と途中までいうと、

船か?飛行機か?
と即座に言われた。

まだ、バスあるの?とすら言ってないのに・・・。

やはり船しかないようだ、
これであとはセントロ行きのバス乗り場をおしえてもらうだけだな、
と思ったら。

船のチケットならそこで売っているぞ、
といわれた。

でも今日は船でてないでしょ?
ときくと。

いや今日も出ている、
ついて来い。
といわれてそのままついていく。

するとバス会社のオフィスの1つに連れて行かれて、
この子がポルトベーリョまでの船のチケットを買いたいらしい。
といって紹介してくれた。

そしてこのおじさんはそのままさっていった、
ブラジル人はこんな風に普通にまったく関係ないのに親切にしてくれる。
旅行をするには非常に楽でよいところ。

あとは言葉がポルトガル語じゃなくスペイン語だったらねー、
ポルトガル語はフランス語見たいな発音で聞き取りにくくて大変なんだよなー。

さっそくこのオフィスの人に聞いてみると、
やはり今日船がちょうどあるらしい。

私が先に得た情報では火曜日、金曜日の週2便だけのはずなのだが、
とにかくなぜか土曜日の今日も船があるらしい。

とりあえずここではチケットを買わないで船着場まで行って、
チケット売りに聞くとハンモックで100ヘアル(約US40$)で3日でマナウスまで行くとのこと。

体調悪いからなー、
どうしようかと悩んだけど、
ここポルトベーリョは明らかにめちゃ田舎で3日間いてもやることさっぱりなさそう、
しかもこれからホテルとか探さなくてはいけないし、
めちゃ暑くて荷物もって歩く気にもならないし、

まあ何とかなるだろう!

ということで22時間のバス移動後にそのまま3日間の船での移動が決定。


午後6時に船はポルトベーリョを出発する。

船は貨物船で2階がハンモックを吊れるようになっていて、
そこにたくさんのハンモックが吊られている。

私はパタゴニアであった人に網のハンモックをもらっていた、
だからハンモックを新たに買うこともなくそのままそれを使った。

他の人は布の普通のハンモック、
私のは網なので日中の暑いときには風とうしも良くてよい感じ、
このあたりは日中は35度を超え、日が当たるところでは40度を超えるので日中はかなり良い。

ただし日中は。

夜はこれが意外と冷える、
気温は25度だけど風とかあって結構寒い。

弱っている私にこれはきつかった。

なんとか服を着こんで夜を超したときは、
はやく日昇れ、はやく日昇れと午前4時ぐらいから呪文のように唱えているぐらいだった。

日が上ると暑くなるのでとりあえずは良い、
でもさすがに体調はかなり悪くなってきていてやばそう。

また夜がやってくる、
いろいろあって前日よりもさらに寒い夜。


そして午前0時、あまりの寒さと体調の悪さに、

ついに封印をとく!

前に使ったのはエクアドルのグアヤキル以来、
あの時はまだ南米1週間なのにめちゃ体調悪くて、
6袋しかなかった風邪薬を3つも使ったねー。

あのときはよく考えたら6袋じゃ風邪薬全然足りないじゃん、
しかもその半分を1週間ちょっとで使ってしまうなんて・・・。

と思っていたけど、
そのあと体調全然快調、
まあたまに悪くはなったけど風邪薬を使うことなんてさっぱりない。

ついでに正露丸もエクアドルで結構使っていて足りるかなーと思っていたけど、
ペルーはいってワラスで使って南米名物の下痢になってからそのあとさっぱり飲んでないねー、
なんか日本にいるときよりも下痢しなくて快調なんだよねー。
結局4ヶ月ぐらいさっぱり使ってないなー。


というわけで長らく封印していた(使うことがなかった)風邪薬を使うことにした。

まさかこんなに使わないとは思わなかったなー、
そしてマナウスに向かう船の上で使うなんて想像もしていなかったねー。


そして次の日、
うーん、やたら調子がいいぞ、
まだちょっとのどが痛いけどどうやら直ったようだ。

じきに効くジキニンといっているけど、
そんなことはない半日もあればばっちり直るじゃないか。

私が薬を飲むときは結構調子が悪いときなのに、
こんなにすぐに効くとは風邪薬の特効薬に指定してもいいんじゃないの?

もともと風邪なんて1日寝てれば直るというものだから、
風邪薬飲んで寝たらそりゃ直らないほうがおかしいよ。


こんな効き方するのは私だけかな?
普段薬まったく飲まないからなー、
飲むとやたら効くんだよねー。

でもマラリアだったらどうしよう?
パンタナールでいっぱい蚊にくわれたからなー、
マラリアって気合で治るものなのかな?

でも数日立っても再発することはなかったのでただの風邪だったみたい。

こんな感じで風邪薬の封印をとくことになり、
おかげでなんとか体調が直ってそのまま船の旅を続けることができました。

一応もう1袋夜に飲んでおいたので、
ついに風邪薬は残り1袋になってしまった。

まあもう少しだから何とかもつかなー。

投稿者 nabe : 13:08 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月18日

第二回パンタナールカップ 釣り

世界遺産にも登録されているブラジルにある大湿原地帯パンタナール、
そこは見渡す限りの草原と湿地帯で自然豊かでいろいろな生態系の環境が整っているため動物達の楽園となっている。

そんなパンタナールで2005年5月8日

第二回パンタナールカップ開催!

競技種目は釣り

午後2時に集合して釣りのポイントまで移動。

今回の参加者はちょっとすくなく、
女性1人を含む7人。

この釣りは川でおこなうけど川岸近くは藻とかが生えていて釣りには向かない、
そこで川岸からすこし川に入ったところでおこなうので全員水着で参加。

釣竿は竹で作った簡素なものに糸と針がついているだけ、
条件はみんな同じなのでやはりここは釣りの腕が勝敗を分ける。

さて釣りをやるといってきたのはいいけど、
何をつるのとかさっぱり聞いていない。

まあパンタナールだけにいろいろ魚もいっぱいいそうだから、
何を釣ると特定することはできないのかな?

と思っていて、
ガイドがじゃあこれが餌といって渡してきたのは、
小さめにきったサイコロステーキのような鳥か牛の肉だった。

はて、これはなに?
焼いて食べるのか?

参加者の1人が何を釣るのか聞くとガイドは当たり前のように

ピラニア

といってそのまま川に入っていった。

ピラニアって今間違いなく言ったよなー、
でもピラニアってあのピラニアだよねー。

アマゾンとかでは牛とか食べられちゃうんじゃないの?

マンガとかだとおぼれた牛がピラニアに食われて骨だけ浮いてくるみたいなことになるんだけど?

ガイド明らかに腹ぐらいまで水につかってるんだけどなー、
しかも餌を投げているポイントも自分から5mも離れていないんですけど・・・。

ピラニアって意外とおとなしい性格なんだ、
と勝手に解釈して(いいきかせて)川へと入っていく。


さて今回の種目はピラニア釣りとなったわけで、

釣りといえば昔は釣り吉とよばれた

ことはないけど、

でも釣りの経験で言えば

さっぱりやったこともない。

まあピラニアはバカっぽそうだから釣れるだろ、
こんな適当な餌でつれるぐらいなんだから。


さっそく餌をつけてレッツフィッシング!

なんだけどなかなかあたりがこない。

本当にここのピラニアいるのかよ、
ガイドのジョークで他のもの釣るんじゃないのか?

と思っていたら唯一の女性にあたりがきて釣れる。

それは確かにピラニアだった。


パンタナールでピラニア釣り、
これは負けられない!

と頑張っていたんだけど、
さっぱり釣れない。

そんなことをしているうちに、
また女性が釣り、さらにもう一回釣る。

なんでそんなに女性ばかり釣れるの?
ピラニアの世界にもレディーファーストとかあるのか?

まあいい、私が狙っているのはこの川の主、
そんな小物に興味はない!

今回の勝負は数じゃなくて大きさ勝負(ということにしておいた)!


私が釣れない間にも他の人にもあたりが来て釣れだす、
おかしい、皆さん1mずつぐらいしか離れていないのになぜ私だけ釣れない?

あたりは結構来るんだけど、
なぜか針は飲み込まないんだよねー。

どうやらピラニアはかなり頭が良いようだ、
なかなか難易度が高いピラニア釣り。
(他の人はみんな釣れていて私だけ釣れていないからといって、
私の釣りの腕が悪いからじゃないのであしからず)

もう2時間が過ぎてこのまま私だけ釣れないで終わるのか?
と思ってあきらめかけていたときについに私にもあたりがくる。

この引き具合からいってもかなりの大物、
これは川の主か?

一気に大逆転、この勝負もらった!

とおもって釣り上げたのは、
いままで他の人が釣った中でも最小の子供のようなピラニアだった。

釣りしたことないからどれぐらいのあたりが大物かわからないんだよねー。

結局このままピラニア釣りは終了した、
今回は完敗、間違いなく最下位。

こんな感じで第二回パンタナールカップは終了しました。


今回の大会でわかったこと。

1.ピラニアはおとなしい性格
2.ピラニアは頭がいい
3.ピラニアはフライにしてたべると普通においしい

以上の3点でした。


投稿者 nabe : 12:53 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月17日

第一回パンタナールカップ 競馬

世界遺産にも登録されているブラジルにある大湿原地帯パンタナール、
そこは見渡す限りの草原と湿地帯で自然豊かでいろいろな生態系の環境が整っているため動物達の楽園となっている。

そんなパンタナールで2005年5月8日

第一回パンタナールカップ開催!

競技種目は競馬


午前8時に馬屋に集合、
さっそく各自馬を選ぶ。

やはり馬が勝敗を分けるので馬選びは非常に重要、
ただ馬は抽選(ガイドが勝手に割り当てる)ので私の馬は勝手に決まる。

でもまあ走りそうな顔をしている、
名前わからないので

ナリタブライアン号

としておく。

皆さん乗馬経験がないので条件は同じ、
それぞれ馬に乗ってガイドの説明を受ける。

でもなぜか私のときだけそのまま何も説明なくてそのままスタート、
まあ一応他の人の説明らしきものは見ていて、
右に曲がりたければ手綱を右に、
左に曲がりたければ手綱を左に、
止まりたければ・・・

肝心のそれがよくわかってないんだよねー、
たぶん手綱を引っ張って馬の首を上げればいいと思うのだが・・・

まあ何とかなるだろう、
というかもうスタートしているので何とかするしかないな。

さて初めての乗馬はやっぱり結構怖いです、
馬は歩いているだけだけど結構ゆれます、
鞍についている持つところを抑えてないと振り落とされそう。

とりあえずはみんな恐る恐る進んでいっているけど、
そんななか後ろから猛スピードで一団を抜いていく馬が1頭いた。

それはガイドではなくこのレースの参加者、
なんでそんなに走ってるの?
もう完全に乗りこなしてるじゃん。

これは初心者専用のレースということにして、
こいつはいないことにすることにしよう。


さて15分ぐらいすると結構なれてきて普通に歩くにはまったく問題なくなる、
このレースは3時間もあるかなり長いレースで距離もかなりある。

そのため普通に馬の歩いているスピードではまわりきれない、
そこで早足ぐらいは必要になる。

早足になると馬のゆれは倍増、
より怖くなる。

でももうゆっくり歩いていくのには飽きたので早足をしようとするのだが、
これがなぜかさっぱり早足になってくれない。

というかそもそも私の馬はなぜか何もしていないのに簡単に止まる、
そして歩けという合図の腹をけってもさっぱり歩き始めない、
でも後ろからガイドがやってくると思い出したかのように歩き始める
もしかしてこいつは・・・

駄馬だーーー!

ナリタブライアンが一気にマキバオーまで格下げになる。

しかもこの馬本当にダメで、
普通に歩いているだけでも他の馬よりも遅くて、
早足になるとやっとちょっと早くなる、
でも何もしていないのに早足もすぐやめてしまうので、
歩いていると後ろから普通にずっと歩いていた馬に抜かれてしまう。

まさに駄馬の中の駄馬!

このころになるとすでに先頭集団と後続集団に分かれていた。
早い人たちは早足に慣れてどんどん進んでいく。

そして遅い人たちは馬が言うこと聞かなくて歩くのも止まってしまうぐらい。
15人のレースで半分ずつぐらいにわかれている。

なんかすぐ草食べ始めるし、
本当にどうにもならない駄馬。

人馬一体どころか、
めちゃけんかしてた。

バカ馬、バカ馬、
駄馬、駄馬

と日本語で言いまくる。

早いグループは離れすぎないようにある程度のところまで行ってまっている。
後続グループはやっと追いついたと思ったらまたすぐスタートなので、
ひたすら馬に乗って揺られているのでかなり大変。

バカ馬はそれでも草食べようとするので、

働かん奴は草食べるな!

と手綱を引っ張ってとめたりしている始末。

とにかくどうにもならない状態。

そしてよく歩くのをやめる、
早足になってもすぐやめる。

なんとか早い人たちの動きを見たり、
いろいろ試したりしてみるけどどうにもうまくいかない。

歩いたり早足になれという合図の腹をけるというのをすると、
このバカ馬は歩くどころか、

なんすか?
腹けられると痛いんですけど?

というように首を後ろに振り返って見てくる。

走る合図だバカ馬!

といったりしていた。


こんな状態が続いていたので、
いい加減むかついてもう勝手にしろよと、
何もしないでバカ馬のしたいままに歩かせる。

どうせ遅くなれば後ろからガイドが来て、
バカ馬もガイドの言うことだけは聞くので勝手に早足になったりする。

2時間もこんなことをしていたらつまらなくてしょうがない。


それでもこのままではと一応頑張ってはいた、
でも腹をけっても歩かないし、
歩いているときに腹をけると下手すると止まったりする。

馬はでかいから感覚鈍くて蹴り方が足りないのか?と思いっきり蹴ると、
また振り返って

痛いんだけど、やめてくれる?

見たいな顔で見やがる。

本当にまいった感じの状態、
しかしついにバカ馬を走らせる方法の開発に成功する!

事は簡単で、
私は腹を片足でけっていたけどどうもそれではダメみたい、
ガイドも歩かせるときは腹をけれといっていただけで他に何も注意はなかった。

しかし実際には馬を歩かせたりするためには両足で挟むようにけらないとダメみたい(すべての馬かこのバカ馬のみなのかわからないけど)。

このようにするとちゃんと歩くし、
早足もするようになった。

そして早足になった状態で歩きそうになったらまた腹をければそのまま早足を続ける。

ある程度行くと馬もわかった感じで歩かなくなってなにもしなくても早足を続けるようになった。

調子に乗ってさらにけって走るまでいかせたらこれがめちゃくちゃゆれる。

振り落とされそうになって怖いのでとてもじゃないけど無理。

ガイドの人は鞍のつかまるところをもっていなくても手綱だけでいいみたいだけど、
私はとてもじゃないけど無理。


まあとにかくこれでなんとかレースに参加できるぐらいにはなった、

マキバオーからハルウララぐらいには昇格したバカ馬にのって先頭集団を目指す!

早足が続いていると結構ゆれるので慣れていない体には結構きつい、
しかしこれでかなりスピードが上がっていままで完全な後続集団だったのが、
一気に先頭集団に近づいていく。

このままトップでゴールしてやる!

と思ったんだけどー、
一番前を走っている4人がやたら早いんだよねー、
もともと初めの方から早足とかしていてずっと先頭集団だったので、
そのスピードにさらに磨きがかかってすでに馬を走らせてる。

とてもじゃないけど追いつけるわけもない。

最後のゴール1kmぐらい手前で最後の休憩、
ここで各馬横並びになってスタート!

でも4人だけはめちゃはやくて一瞬にして抜け出してそのまま4人の先頭争い。

私はそのはるか後方を早足で走っていくだけ、
まあそれでも一応4人のあとに入ったのでメダルには届かなかったけど5位入賞。

駄馬をなんとか走るようにしただけでも大変なことだった、
まあ乗馬自体はそれなりにおもしろかったので良かったけど、
できれば最初から早足とかちゃんとコントロールできたらもっと面白かっただろうなー。


ちなみにもちろん尻の皮はむけていました、
まあそんなに酷くなかったけどそれでも3日ぐらいは痛かったです。

そしてその日のうちにすでに筋肉痛が始まり、
次の日には全身筋肉痛になってました。
乗馬は結構全身運動みたいなので大変です。

投稿者 nabe : 12:48 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月03日

危機一髪!

今回の旅はサンパウロから日本に帰るのでサンパウロは旅の最終目的地。

でもあえて遠回りをしてわざわざサンパウロを旅の途中にいれることにした、
1つはサンパウロは東洋人街(日本人街)があり、
ここは本当に日本の店がいっぱいあってもちろん日本食屋もいっぱいある。

旅の途中ならこれほど貴重なところはないけど、
旅の終わりですぐに日本に帰るのにサンパウロで高い日本食を食べても意味がない。

ということで途中でサンパウロによることにした。

でもこれと同じかそれ以上に重要なのが、


視力回復手術


実は南米は視力回復手術のメッカとも言える所で、
コロンビアとブラジルでは盛んにおこなわれていてかなり進んでいる。

値段としてはコロンビアで500USドル、ブラジルで800USドルぐらい、
日本だと安くても30万円以上するのでかなり安くできる。

でも普通に考えると南米なんて安いだけあって危ないんじゃないの?
と思われるところですが、

視力回復手術に関しては全然日本より進んでいる、
というか日本かなり遅れてる。

こっちでは当たり前のように手術がおこなわれているけど、
日本だとまだまだ全然一般的じゃない。

だから医師の技術もこっちの方がよいのでかなり良い環境といえる。

南米を旅していると本当にたくさんの人が手術を受けている、
でも特に問題なく旅も続けていられるみたいだし、
南米に来るまではそもそもそんなこと知らなかったし、
知ってからもあんまり気にしていなかったけど、
サンパウロでできると知ってからは通り道だし考えてもいいかなと思っていた。

チリのサンチャゴあたりまでおりてきたときに、
サンパウロで手術を受けた人にあって、
とても親切な先生がいることを知ったので、
一気に手術を受けてみる方に傾く。

決めてからはそれにあわせて早めに行動をすると共に、
コンタクトレンズの使用を10日ぐらい前からやめる。

サンパウロについたときにはまさに準備完了という状態、
手術をうけると1週間後にまた検査が必要なのでちょっと時間がかかるから、
サンパウロに着いたその日にさっそく予約をして検査をしてもらいにいく。

この検査というのは、
視力回復手術は角膜の一部をレーザーで削って屈折率を変えて視力を回復するというようになっている、
でも角膜が薄い人は失敗する可能性が非常に高いのでできない、
だいたい4,5人に1人はできないらしい。

手術ができる眼科はかなり綺麗なビルの12階にあり中もすごく綺麗、
私のイメージではブラジルの病院は適当な一軒家で衛星とかもさっぱり気にしないようなところを想像していた。

これだけよいとかなり安心感も増す、
ここは林先生という日系人の先生で日本語が完璧じゃないけど普通に会話はできるので言葉も問題なし。

さっそく検査をしてもらう、
機械で目を見て、そのあと瞳孔を薬で開いてまたチェックする。

結果はまったく問題なし、角膜も十分な厚さがあるので手術はできるとのこと。

手術の日取りの話になり、今日は木曜日なので金曜日は次の日が休みなので術後の検査ができないのでダメ、
先生が水曜日でいいかな?と聞いてきたので、
できるだけはやくしたいというと月曜日になった。


手術をまつ3日間の間はお金を集めるのに結構苦労した、
病院とかは現金のみらしく、しかもブラジル通貨のみなので、
キャッシングをするつもりがなんかブラジルはキャッシングできるATMがすくなくて、できてもかなりレート悪い。
キャッシュを変えたりTCを変えようとしたり意外と大変だった。


そして5月2日(月)手術当日。

なんかそれまでまったく手術受けるという感覚なくて、
実はこの日もうーん手術受けるの今日?というぐらい適当な感じ。

でもこれでメガネやコンタクトレンズとさよなら、
あの目の悪い状態の、

見えなさそうで・・・、さっぱり見えない

という感覚が名残惜しい

なんてことはまったくない!

でも夜景で目が悪いと裸眼で見ると光がかなり大きくなって見えて綺麗

というものももう見れなくなるんだなーと思うと感慨深い

こともさっぱりない!

とにかく見えるようになったほうがいいのでさっさと直ってくれ、というぐらい。


手術は別の病院でやることになっていて、
直接現地で午後7時に待ち合わせ。

手術後は目は見えるけどそんなによくは見えないので、
付添い人をつれてくるように言われていて、
同じ宿に泊まっている人についてきてもらう。

病院に行くとこれまたかなり近代的で、
日本のその辺の大学病院よりもさらにすごそうなところ。

これは全然大丈夫そうだ、
受付に行ってもらっておいた紙を渡す、
すこしまってなんか看護婦さんに呼ばれて、
変な機械で眼の検査をされる。

データがパソコンに瞬時に移されて、
看護婦さんはそれでなんかそうさしてデータをいじってる。

それはいいんだけど、
なぜか計算のときに計算機使ってるんだよねー、

それってなんに使ってるの?
まさか重要な計算じゃないよね?

ごめーん、計算間違えて視力5.0になっちゃった、テヘ。
良く見えるからいいでしょ?

でも1.0以下は見えないけど・・・

とかならないんだろうなー、
そもそもパソコンなんだからすべて自動化にできるもんじゃないのか?
その光景だけでもかなり不安感が増した。


データが出てまた待合室で5分ぐらい待って別の部屋に入ると林先生がいた。

そしてさっきのデータのプリントアウトをみて説明を始めた。

結論から言うと


手術無理!


ということだった。


説明によると、
前の検査ではOKでなぜ今回はダメかというと、
前の検査は簡易検査、それでもそれがOKならほとんどすべての人が大丈夫。
昔はそれだけで検査終了で手術していたんだけど、
どうも手術後に半年ぐらいしたら視力がまた悪くなってしまう人が結構いた。

なんでだろうといろいろ調べていった結果、
普通は角膜はだいたい均一の厚みを持っているんだけど、
たまに目の中心のあたりだけ角膜が薄くなっている人がいる。

ちょうど手術は目の中心の角膜を削って直すので、
その角膜が薄い人はかなり薄くなってしまう。

それが何でいけないかというと、
普通角膜は500~600μmぐらいの厚みがある。

手術ではそれの100μmを薄く剥ぎ取って、
その剥ぎ取った下の角膜をレーザーで削ってメガネのレンズのようにして屈折率をかえる、
そのあとは剥ぎ取った角膜をその上にかぶせて手術終了。

そのレーザーで削る量というのは視力によって変わる、
メガネと同じような感じらしく悪い人ほど多く削らなければいけない。

私は目がかなり悪いので多く削ることになる、
その結果として私の眼の中心の一番薄い部分の角膜は475μmぐらい、
計算としては

475(元の角膜厚さ) - 100(剥ぎ取り厚さ) - 135(削り厚さ)=240(角膜の残り厚さ)

となる、
この角膜の残り厚さの安全基準が250μm以上となっている。

なぜある程度の厚さが必要かというと、
目には眼圧というものがあり、
常にある程度の圧力がかかっている。

それが角膜が安全基準値以下の厚さになってしまうと、
内側の眼圧にたえられなくなってその薄い角膜の部分から目が変形していく。

目が変形すると当然また屈折率が変わるのでまた目が悪くなってしまう、
しかもただの近視ではなく、目がねじれるように変形していくので乱視を併発する可能性が高い。

そして当然だけど角膜がすでに薄いのにもう一回手術なんてしたらさらに薄くなってしまう、
したがって二度と手術はできないので永久にメガネかコンタクトになるとのこと。


これらのことは結構最近になってわかったらしく、
この新しい詳しく角膜の厚さを測る機械も6万ドルぐらいして持っていないところも多いとか。


左目は薄いけどそれでも270μmぐらい残るらしいので大丈夫との事だけど、片目だけ直ってもねー。

本当に手術できるかできないかのギリギリのラインで、
悪くなる可能性も5~10%ぐらいしかないので、
医者によっては大丈夫といってやってしまう人も多いらしい。

でも林先生は最低250μmだけどさらに安全を見て275μmぐらいないと手術はしないとのこと。

あと今のこのレーシックという角膜を削って直す方法では無理だけど、
最新の技術では同じように角膜を剥ぎ取るけどそのあとレーザーで削るのではなく、
コンタクトレンズのような薄いレンズを入れてそれで視力を回復するという方式が出てきているらしい。

これだと角膜が薄くてもまったく関係なくて誰でもうけられるし、
視力がもし変化した場合でもそのレンズを変更すればいいだけ、
ただ一度レーシックで角膜を削ってしまった人はもうそこに穴みたいなのができているためにこの方法はできないらしい。

ということで新しい方式ならできるようになるし、
今無理してやってまた悪くなったらどうにもならなくなるから今回はやめましょう、
ということになった。


林先生はまったくの素人の私に30分以上もかけて、
絵を描いたりしてこのように詳しく丁寧に理解できるように教えてくれた。

なんでここまでしてくれたか推測すると、

先に書いたように医者によっては手術をしてしまう人もいる、
だから私が先生の言うことを信用しない、または理解していないで、
他の医者のところにいってそこで手術してしまわないようにと、
わざわざ忙しい時間を割いて細かく説明をしてくれたのだろう。


私は手術ができないといわれたときもそもそもあんまりがっかりということはなかった、
まあできればもちろんやりたかったけど、
あんまり乗り気じゃなかったというか、
気構えがそんなになくてここまできていたので、
ああそうなんだ、とうぐらい。

そして林先生の話を聞いているときは、
逆にこれはラッキーだったなと思っていた。

もう1つの視力回復手術のメッカ「コロンビア」や日本がどうなっているのかわからないけど、
ここのような精密検査をやらないかもしれないし、
もしやったとしても医師の判断しだいではそのまま手術ということになっていた。

医者としては手術しなければ当然お金は入ってこない、
それどころかたぶんここの施設とかを借りているので、
やらなくてもある程度は払わなければいけないだろうから赤字になるぐらい、
だから本来はできるだけ手術をしたいはず。

そう考えると他の所だったら手術になっていた可能性は非常に高い。

それがたまたま非常に親切な良い先生にあたったので手術もしなかったし、
それどころか詳しい説明までしてくれて絶対に手術は危ないということもわかったし、新しい技術ができるのを待てばいいので他のところに行くこともない。

まさに危機一髪という感じで危ない橋を渡らないですんだ。

もともと日本でも受けようと思っていて時間がなくてうけれなかった、
日本だったら手術されてたかもと思うと、
サンパウロで目の手術を受けようとして本当にラッキーだった。

いやー、いい人って結構いるもんですねー、
医者なんてあんまり信用できないかと思ってたけど、
まさか地球の裏側のブラジルでこんないい医者に会うとは思わなかった。


ただ1つだけ問題が・・・、

手術代が片目1000ヘアルで両目で2000ヘアル、
あと検査代と薬代で200ヘアルなので、
現金で2200ヘアル用意したんだよねー。

約800USドル分のヘアルもってても使うかなー、
しかもそれを持ち歩いて旅行しなくちゃいけないんだよねー。
キャッシングとかのレートもかなり悪くて仕方なくおろしたりして用意したのに・・・

まあ視力回復手術失敗するよりは全然いいけどね。


こんなわけで

「南米でひそかに視力回復しちゃうぞ」

計画は失敗に終わりました。

いきなり視力回復してびっくりさせようと思ってたのになー。

免許証の「備考:眼鏡等」を更新のときに、
視力回復して裸眼なんでなくして!
といってみたかったんだけどなー。

まあ新しい手術方式がでるのをまつことにします。

でもそれも日本だとたぶん50万円とかすごく金かかるんだろうなー、
数年後にまたサンパウロに手術しにもどって来るかな・・・


もしこれから視力回復手術をしようと思っている方は、


この話を参考にちゃんと詳しい検査をしてもらいましょう!


まちがっても簡易検査だけで手術受けちゃダメ、
なんかグルグル模様の変な形の機械でチェックしてもらいましょう!


検査室


一番手前側の機械が角膜測定器




角膜測定器
なんかへんなグルグル模様、これの全体が5秒ぐらい点滅するように光って測定する




あと測定結果を見せてもらって自分でも計算したりして、
ちゃんと角膜厚さの残りが250μm(できれば275μm)以上あるかチェックしましょう!

検査結果
パソコン画面の右下が私の片目の角膜厚さの測定値青いほど厚くて黄色、茶色となっていくと薄くなっていく たぶん黄色が出たらすでに厚みがかなり薄くて< 茶色だと無理ぐらいだと思います

投稿者 nabe : 22:55 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月01日

料理の鉄人 最終話『カニ編』

5回にもわたって長々と続いてきた料理の鉄人シリーズですが、
今回で最終回となります。

なぜかというと・・・

もうあきた!

作るの時間かかってめんどくさい!

食べて洗い物とかまで入れたら1時間以上かかってる、
そんなにいちいち時間使ってられない!

といのもちょっとはあるけど、

そもそもこれから先は自炊をする必要がない、
できないというのが理由です。

いままでは日本人宿にとまるということで、
そこが非常に不便なところにあり、
自炊するしかないという状況だった、
あとパイネ国立公園ではトレッキングで多少なりとも作れないと困るのでそれもあった、
そしてなんといってもチリは海産物の宝庫でそれを安くおいしく食べるためには料理をする必要があった。

これらの理由で料理をしていたけど、
南米最南端のウシュアイアについて、

これから先は北に上がっていくだけ、
ブエノスアイレスは都会で飯も安く、
そもそもキッチンがないホテルに泊まるのでできない。

このあともキッチンがないホテルに泊まっていき、
ブラジルに入るとサンパウロでそこは日本人街があるので、
日本食を食べに行くので作る必要などない。

このあとさらに北に上がっていくけど、
別に自炊してまで食べたいものなどさっぱりない、
ブラジルは食費はまだそこまで高いわけでもないようだし、
日本人宿もないし、さっぱり作る気にならない。

ということでここウシュアイアが鉄人の修行の最終地点となります。


そんな鉄人の華やかな南米デビューの最後を飾るのは、

カニ!

実はウシュアイアはカニがいっぱい取れるところなんです。

ウシュアイアはアルゼンチン側に属していて、
そもそもアルゼンチン人は牛肉しか食べないというアホな人種なので、
チリではやたら海産物がいっぱいあるのにアルゼンチンではそんなものさっぱりありません。

魚って水族館で見るためのものじゃないの?

といったぐらいなんじゃないでしょうか。
とにかく魚料理というものがほとんどないアルゼンチン、
そんな海産物とは無縁のアルゼンチンにおいてウシュアイアだけは唯一海産物がとっている、
しかもそれが海産物の中でも高級品に属する

カニ!

でもやつらはやっぱりアホなので基本的にそのまま茹でて食べるなんてことはしません、
すべて缶詰にしてしまいます、
そしてそれを日本に輸出しています。

実は日本の会社がここにあってカニを取って缶詰にしているらしいです。

それでもウシュアイアの街中なら一応名物料理としてカニの茹でたものを食べる食べ方もあるようです。

あいつらなんで牛ばかり食べていて飽きないのでしょうか?
それも焼肉とかそんなことにしないんですよ、
ただひたすらステーキを食べるだけ、味覚ないのかな?

なんでも食に変えてしまう中国人をちょっとは見習ってほしいものです。

話がそれましたがとにかくここは日本人バックパッカーの間では、

ウシュアイア = 日本人宿上野山荘 + カニ

というようなところ(私の偏見かな?)、
ただこのカニも日本と同じで1年中取れるわけではないです、
やはり禁漁期間がありとれるのはほんの数ヶ月の間だけ。

それがどうもつい先日終わってしまったようで今は禁漁期間に当たる、
本来なら生きているカニに襲われている写真でもとってやりたかったのですが、
残念ながらそれは無理でした。

でもカニはすでに取ったものを冷凍にしておいてそれをどんどん缶詰に替えている工場があります、
しかもそれが泊まっている宿から15分ぐらいしか離れていない。

1人ではさすがにカニを食べる気にはならないけど、
ちょうどこのときは宿に4人いてじゃあみんなで買って食べようかということになり、
さっそく工場に買出しに行く。


工場の中に入って受付の人に

カニ売ってくれ!

という、
ここは本来は缶詰にするためにカニを取っているし、
そもそもアルゼンチン人はカニを基本的には食べないので買いに来る人なんてまずいない、
どうも日本人だけが買いに来ているような感じ。

話によると身だけをとった缶詰にする前の真空パックしたものがあるとのこと。

そんなんじゃ話にならん!

殻だ、殻つきじゃないとだめ!

だって写真撮りたいじゃんやっぱり、
そしてカニといえばあの食べにくい殻から実を取り出す過程こそ、うまさを引き出す最高のレシピ

などとわけのわからないことを鉄人は妄想しながら、
とにかく殻つきのを売ってくれという。

すると冷凍のものがあるからどれぐらいほしいの?といわれた。

どれぐらい?
そもそもカニって普通の大きさでどれぐらいの重さになるものなの?
さっぱり見当つかないよ。

現物見せてくれというと工場から持ってくるから5分まってとのこと、
その間に1kgいくらとかを教えてくれた。

そして持ってこられたカニは、

でかい!
でかいぞ!
まさにこれこそカニだ!
しかもズワイガニっぽいぞ!

3人で買いにいったんだけどみんな舞い上がってました。

もってきてくれたのは結構大きくて2.5kgぐらいあるらしい、
でも実際身はというと1kgぐらいしかないよといわれた。

うーん4人で1kgだと一人250g、
ステーキだったら十分な量だけどカニだとどうなんだろう?
カニは結構食べられそうな気がする、
せっかく食べるのにちょっとしか食べられなくて満足できないのもいまいち、
そこで写真用の殻つきのカニとあと身だけの真空パック1kg買うことにする。

これで112ペソ(約40ドル)、一人だと10ドルぐらいなのでアルゼンチンの物価からするとちょっと高い、
でも見た目にもカニは相当な量がある、ズワイカニ食べ放題でこれなら安いだろう。

そのあとは私ともう一人はセントロに用事があったので別れて夕方に戻ってくる、
みんなが集まったところでさあ料理開始!

とはならず、
まずはもっとも重要な写真撮影大会!

カニの広告でも作るつもりか?
というぐらいみんなで1つのカニを取り合っていっぱい写真撮った。




そして料理を開始する、
でも実はこのカニは一度茹でたものを冷凍している、
だからすでにほとんど調理が終わっていてあとはただ解凍するだけ、
鍋にお湯を沸かしてさあ入れようと思ったけど、

カニでかくてはいんねー!

もっとでかい鍋ないのかよ!

とみんなで必至に探したけどなくて泣く泣く足を取ってバラバラにして鍋に入れる、
あのままみんなで直接むしりながら食べたかったのに・・・



それでも鍋に入りきらなくて、
足の部分と体の部分に分けて解凍する。

あと真空パックになっているものはそのままお湯に入れて解凍すれば完了。

そしていよいよカニを食す!

改めてみてもすごい量、
殻つきのものだけでも相当ありそうなのに、
そこにあと身だけで1kgもあるのだからかなり気合入れて食べなければいけない。

カニがあればあとはご飯さえあればいいだろうとご飯は1人1合で4合炊いておいた、
でも食べ始めたらご飯はあっという間になくなり足りなくなって追加で2合も炊いた。

そしてカニはというと・・・

めちゃくちゃおいしいです!

当然といえば当然だけど、それにしてもおいしい。
そもそも日本でもカニを食べることなんてほとんどない、
さっぱり記憶にないので数年以上は食べていないだろう、
それをこんな世界の最果てでたべれるとは・・・



あまりのおいしさに言葉をうしなってみんな黙々と食べてました。

やはり1人500gは結構な量で、
食べきろうと思えば食べきれたけどせっかくなので明日用に私は残しておく、
他の人はすべて完食していた。

こうして鉄人の最後の修行

カニ料理

が終了した。


となるとなんにも料理していないじゃん!
ということになるのでカニを残しておいた。

そして鉄人が作る料理は

カニ雑炊

イメージ的には簡単に作れるのではないだろうか?
とおもって適当に作る。

とりあえず米を炊いて、
出来上がったら昨日カニを茹でたスープがあり、
これがかなり良く出汁がでていたので、
そこに炊いた米を入れる、
あとは卵を2つぐらいといて入れてコトコト煮込んでいく、
雑炊っぽくなったところで火を止める。



カニ雑炊の完成。


早速食べてみると、

これまたすごくおいしい、
まあ食材がいいからよっぽど変なことをしない限りまずくなるとも思えないが、
とにかくおいしく鉄人の最後を飾るのにふさわしい料理となった。

こんな感じで鉄人の修行が終了しました、
いろいろ作ってまあちょっとだけ料理ができるようになったかなーといった感じです。

ちなみにこれ以外にもカレーも食べました、
これも日本人宿ででも一度作ったものを冷凍してあったので、
鍋であたためてご飯にかけるだけなのでインスタントみたいな感じでした。

でも南米で日本食屋でカレー食べたけどまずくて、
おいしいカレーを食べたいなーと思っていたので、
あまりにもおいしくて三夜連続カレー食べてました。


修行の期間は純日本食みたいなものばかり食べていたので食事が楽しみで仕方なかったです。
でもその分太ったのかな・・・。

ブラジルのサンパウロまでは日本食がいっぱい食べられそうなので、
しばらく日本食三昧でいこうと思います。(でも自分では作らないけどね)


投稿者 nabe : 16:27 | コメント (0) | トラックバック