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2006年07月22日

「アフリカ縦断終了!」

アフリカ日記 その6


「アフリカ縦断終了!」


アフリカ縦断を4月から始めてちょうど3ヵ月半、
7月16日についにアフリカ大陸南西端(と看板には書いてあった)の喜望峰にたどり着きました。

エジプトのカイロを出てから、
スーダン、エチオピア、ケニア、マダガスカル、モーリシャス、ウガンダ、ルワンダ、タンザニア、ザンビア、ジンバブエ、ボツワナ、ナミビアと13カ国渡り歩いて、アフリカ14カ国目の南アフリカでやっと喜望峰にたどり着きました。

そんなアフリカ縦断を終えてみての感想は、

アフリカ全然たいしたことなかった

という感じです。

世界一周をはじめたときはアフリカなんて未知の大陸で、
旅行は大変そうだし、治安最悪、病気もいっぱい、言葉さっぱり通じなそう、見所ほとんどないというイメージでそんなところわざわざ行くわけないと思っていたけど、
南米から帰ってきて調べてみたら英語はかなり通じるし、ヒッチハイクでもしないと移動できないかと思ったら普通にバスとかも走っていたりして、
南米も治安悪いといわれていたけどさっぱりそんなことがなかったのでアフリカもそこまでじゃないんじゃないの?
これならアフリカ縦断もただ急いで旅行していくぶんにはたいしたことないと思ってアフリカ縦断をしてみたけど、

やっぱり予想通りだった

言葉はエジプト、スーダン、エチオピアは英語が第一言語ではないけど、
予想以上にかなり通じて少なくとも南米よりは通じるので言葉の問題さっぱりなし。

治安は悪いと聞いていたけど、
有名なケニアのナイロビは昼間はさっぱり問題ない感じ、
最近有名なタンザニアのダルエスサラームも基本的にはまったく問題なし。
南アフリカはまだ旅行中なので不明だけどケープタウンに関してはセキュリティーが歩いていたりするのであんまり危なくない。
私があった日本人はわき道歩いていたら強盗が着てお金を巻き上げられたらしい、でもそんなところ歩くべきところではないので強盗とかは基本的に不注意が原因。
日本人旅行者は結構無茶なことをする人も多いのでそれがただ被害にあっているだけというのが私の印象。

移動はエチオピアはちょっと大変だったけど、
あとはバスがほとんど走っていて快適ではないにしても大変ではまったくなかった。

3人で旅行をずっとしていたのもあるとはいえ、
今はアフリカは行ったことがない人が考えるほどには旅行は全然大変ではないみたい。

物価も高いとはいえヨーロッパとかに比べれば安いので、
町の移動はオールタクシーでOK、
ヨーロッパはバックパックを持って歩くの大変だったけど、アフリカはバックパックを持ち歩くことはほとんどなかった。
3人だったからホテル探しのときも荷物を持っていなかったので南米のときよりもさらに持って歩いていなくて一番歩いたのがルワンダとタンザニアの国境の1km20分ぐらいかな、
バックパックを持たないバックパッカーの本領発揮という感じ。


ただ誤算は予想以上に旅行が大変ではなくて、しかも3人で旅行していて今までの旅行の中で一番楽だったので2ヶ月ぐらいでさっさと終わらせる予定だったアフリカ縦断が
どんどん伸びてしまって3ヵ月半かかってケープタウンと喜望峰に到着。

しかも元々はケープタウンからそのまま日本に帰る予定だったのに、
さらに追加でレソト、スワジランド、モザンビークといってしまうのでさらに3週間ぐらい増えてしまい、結局今回の旅は半年近くになってしまった。

あやうく日本のお盆の超ハイシーズンになって日本に帰れなくなるところだったけど、
なんとか予定を切り詰めて8月5日に南アフリカのヨハネスブルグから日本に帰れる飛行機を手配することができました。
(7月14日にチケットを買い、この時期ではもう満席で飛行機ないかと思っていたら普通に結構空いていてちょっと拍子抜けだった)


長かったアフリカ縦断の旅もあと2週間ぐらいで終了、
思い起こすと一番普通の人が思うアフリカらしいくにはスーダンとエチオピア。
旅の始めの方だったのでアフリカらしいなーとは思ったけどまだまだ続くものだと思っていたのに、終わってみたらそこが一番アフリカらしかった。

南に下りるにつれてどんどん都会化してきてアフリカらしいという感じではなくなり、タンザニア以降は黒人いっぱいいるけどあとは普通の国みたいな感じ、
ナミビアと南アフリカにいたってはあまりにも都会すぎて、ここはアメリカ?というぐらいでもはやどこにいるのかさえわからなくなるぐらい近代化されていた。


そんな南アフリカであと少しでアフリカの旅が終わりなのはいいのだけれども、
最後でバックパッカーの間では一番有名で世界で最も危ない都市といわれているヨハネスブルグにいかなければ行けないのが問題。
モザンビークから直通バスで行く予定なのでそのヨハネスブルグでも最も危険といわれる町の中心につくことになりそう。
ついた場所はとりあえずは安全といわれているところだけどヨハネスブルグはまったく油断を許さないところなのでかなり心配。

でもここで被害がなければアフリカも無被害ですみそうかな。






アフリカ大陸縦断の地「喜望峰」。こんな感じの看板が立っています。

アフリカ縦断をしてくるとここにつくとやっぱりかなり感動します。


投稿者 nabe : 17:47 | コメント (0)

2006年07月09日

「ウガンダ・ルワンダ」


アフリカ日記 その5

「ウガンダ・ルワンダ」

『決死のナイロビ夜間歩行』

アフリカ縦断の旅を始めてはや3ヶ月、
当初の予定ではケニアからは南のタンザニアに移動するつもりだった。

でも3人でアフリカ縦断をしていて交渉をすべてコーイチさんがやってくれるので仕事半分ですむのでかなり楽で、
それなら1人ではめんどくさくて絶対行かないけど3人なら楽だから寄り道をすることにした。

寄り道の場所はケニアから西に行ったウガンダとその南のルワンダ、
どちらも基本的に見所はあんまりない。
しかもビザ代がウガンダ20ドル、ルワンダ60ドルと行くだけでもかなり高い。

お金はあんまり気にしていない3人だけどそれにしてもちょっと寄り道するだけでそれは高いなーと思ったけど、
まあ行った国数が増えるし、ルワンダはアフリカ最大とバックパッカーに語り継がれる見所がある国なので行ってみることにした。


ケニアからウガンダはそれぞれの首都のナイロビ → カンパラ間に直通バスが走っているので簡単に行くことができる。
夜行バスなので宿代も浮くし昼にはカンパラにたどり着つく。

ただ夜行バスなだけに当然ナイロビを出るのは夜になってしまう、
泊まっている宿からはほんの300mぐらいしか離れていないんだけど、
夜のナイロビはそれでもバックパックを持って歩き回るのは非常に危険。

多くの被害者がバックパックを持っているときにやられている、
これはバックパッカーがバックパックを持っているということはすべての貴重品を身につけているということを知っているから。

とはいえさすがに300mをタクシーを使うほど今のナイロビは危険そうには見えない、
しかも時間は午後7時半発なのでそんなに遅くない。

3人だし大丈夫だろう、
ということで歩いていくことにする。

午後7時ぐらいに泊まっているホテルを出る、
出る前に靴ひもを締めたりしていつでも走れるようにしておく。
出たら迷わないようにルートのミーティング、
さらにはそれぞれのディフェンスポディション決めで私が先頭、ナオコさんが真ん中で左右警戒、コーイチさんが最後尾で後方警戒。

この状態でホテルを出ると同時に超早歩きで歩いていく、
この時間になるとナイロビはもう日が沈んで真っ暗、
黒人はその色で非常に迷彩がきいていて表情とかどっちを向いているのかさえわかりにくくなる。

とりあえず近づいてくる奴は殴る!
ぐらいのつもりでどんどん歩いていく。

このあたりはダウンタウンのローカルバス乗り場になっていて帰宅のためか昼間よりいっそう黒人達の群れがいっぱいいる、
しかもバスは数が足りないみたいですごい長い列を作っている場所もあってかなり怖い。

そんな黒人達の群れ群れを通り過ぎて5分ぐらいで無事バス会社のオフィスにつくことができた。

バスはというとアフリカにしては非常によいバスで、
こんなバスはエジプトで乗って以来久しぶり。

遅れもたった30分ですんで8時には出発していた。

久しぶりの快適なバスで珍しくほとんどの時間を寝てすごすことができた。
バスは何度か止まったりして故障することなく、そしてあんまり揺れることもなく進んでいった。


『強マラリア感染地域』

午前5時、バスはまたどこかに止まる。
それまでも2時間おきぐらいに頻繁にとまっていたのでトイレ休憩かな?とおもったら国境だった。

眠い中起きてイミグレーションへと向かう、
ケニアの出国をしてそのままウガンダの入国審査の場所へ歩いていく。

ケニアとウガンダの人たちはウガンダ国境は自由に出入りできるみたいで特に何もしなくていいみたい、
私達外国人はビザが必要でイミグレーションにいく。

パスポートを見せるとビザは30ドルといわれる、
ここは世界で唯一ビザに学割があるという変わった国、
国際学生証を見せると本当に割引があり20ドルになった。

そのまますぐに出発するのかと思ったらイミグレーションは開いているけど税関が空いていなくてそれのチェックができなくて1時間半ぐらい待たされた。

結局2時間ぐらい国境を越えるのにかかりバスが出発したらもう午前7時だった。

快適なのでまたまたひたすら寝ていく、
しかし逆にあまりにも寝れすぎてしまって疲れてしまった。


午前11時過ぎにバスはウガンダの首都カンパラに着く、
ここは標高が1100mぐらいしかなくナイロビとかに比べると結構さがっている。
赤道直下ということもありかなり暑くなり外は30℃ちかくになっていた、
うだるような暑さの中をタクシーで移動する。

この国はタクシーは白タクしかないというこれまた変わった国、
タクシーとすら書いていないのでそもそもどれがタクシーかすらわからない、
それでどうやって捕まえるのよ・・・

ウガンダ人の馬鹿度が相当なものだということを認識しておいて、
バス会社のオフィスにいたタクシーに乗ってホテルにいく。

ホテルはここはアフリカでも有数の強マラリア感染地域で、
標高が低くなって暑いので蚊がいつでもいる、
しかも暑いから半そで、半ズボンになり刺される確率が上がるという悪循環。

ウガンダ(特にビクトリア湖畔)、ルワンダと通った旅行者は結構な確率でマラリアに感染して発祥しているという恐ろしいところ。

マラリア治療薬として、

メフロキン(昔からあるけど副作用盛りだくさんでマラリアで死ぬか?薬で倒れるか?というぐらい)

コテキシン(中国の漢方でなにかの根から抽出したもので非常に安全、しかも効果が高い)

アンチメーター(数年前に発売された新薬でコテキシンのマラリアに聞く成分<それがアンチメーターという成分らしい>を抽出したというものすごく効く薬、もちろん副作用なし)

と3つも持っているので大丈夫といえば大丈夫なんだけど、
まあかからないに越したことはない。

ということでホテルも部屋にちゃんと窓があって(ないところもいっぱいある)、
しかも蚊帳がついているところを探しておいた。

アフリカはマラリアで倒れるバックパッカー続出なので注意してもしたりない、
まあでも実際のところはマラリアはそんなに怖い病気ではなくて、
感染しても発症しないことも多く、体が弱っている人が発病するぐらい。
それも普通に発症する3日熱、4日熱はマラリア治療薬でほとんど治るので病院に行く必要すらないかもというぐらい。

唯一、熱帯性マラリアだけはそぐに重症になるのでやばいらしいけどね、
しかもそれもアフリカにいちゃったりなんかいるらしい。

ある意味アフリカぐらいしかかかるところないので(南米も普通にはない)アフリカ名物?のマラリアもそれはそれで貴重な体験であるともいえるかな。
(でも絶対かかるのはいやだけどね、
蚊帳あっても長袖、長ズボンに日本から持ってきた携帯電池式蚊取り線香まで使ってるよ私は)


『ゴリラを探す旅』

ウガンダ、ルワンダは実は世界的にもものすごく有名な一大観光地がある、
それは世界最大の霊長類のマウンテンゴリラが見れる国立公園。

マウンテンゴリラの全生息数の半分に当たる340頭がウガンダに生息している。
マウンテンゴリラを見るならウガンダ、ルワンダしかないというぐらい。

ウガンダに来る旅行者の多くはそのマウンテンゴリラを見に来ることになる、
ついでにウガンダは自然の景観が綺麗なところでトレッキング好きな欧米人にはそれも人気。

トレッキングは時間がかかるし、マラリアのこともあるのであんまりやる気なし。
マウンテンゴリラの方はというと世界でもここでしか見られないので非常に貴重だからアフリカにまで来たのだからぜひいきたい!

と思うところなんだけど、お値段が500ドルぐらいかかる。
まあ値段については高いとはいえ世界で唯一見れるところ、アフリカにまたくることなんてないからやっぱり見ておかなければ!

と考えるんだけど、
これがまたすぐに見れるということにはならない。
1日何グループしかいくことができなくてその入場制限のおかげで1日50人ぐらいしか見られないらしい。

そのせいで予約がすごくて2年先までうまっているという話もあるぐらい、
まあどっちにしても今すぐいきたいといって行けるものではない。

ということで断念するバックパッカーがほとんど、
しかし幸いにもウガンダ、ルワンダでは他の所でもゴリラを見ることができる。

それどころかどこでもゴリラを見ることができる。

それはウガンダ、ルワンダ人が

ゴリラ顔だから!

バックパッカーの間ではウガンダ、ルワンダ人がゴリラ顔ということは非常に有名で、
ここに来るバックパッカーたちはゴリラ顔の人を見に来たという人も多い。


私達もマウンテンゴリラを見るのはあきらめたので、
早速町に出てゴリラ顔のウガンダ人を探すことにする。

カンパラの町は結構大きくて人がいっぱい歩いている、
なのですぐに見つかるかと思ったら思っていたよりはゴリラ(ゴリラ顔)の人は少なかった。

でもやはりゴリラ顔の人は確かにいて、

ゴリラと目があっちゃったよー
今ゴリラが車を運転していたよー

とかいいながらゴリラウオッチングを楽しんでおいた。
まだ3歳ぐらいの小さい子供なのにすごいゴリラ顔の男の子もいて、

君は将来すごいゴリラになれるよ

とかいったりしてもいた、
ゴリラウオッチングはかなり面白いです。
メス(女の人)のゴリラも普通にいたりします。


『ウガンダの世界遺産』

ウガンダにはいくつか世界遺産があるけど1つを除いてすべて自然遺産、
自然が豊かなウガンダらしい。

そんなウガンダで唯一の文化遺産が首都のカンパラにある、
そもそもカンパラはまったく、さっぱり何も見るところがない。

基本的にゴリラウオッチングとルワンダへの経由地としてきただけなので、
カンパラは今日だけいてそのまま1泊でルワンダへと移動することにした。

ついたのが昼ぐらいで食事をしたりしていたら午後3時過ぎになってしまって大急ぎで向かう。

幸い街中にあるので20分ぐらいでつく、

カスビ・ドーム

というところで、ガンダ王国という昔からある王国でウガンダという国名はこのガンダからきているらしい。
そのガンダ王国の王の墓が世界文化遺産に登録されている。

入場料を払って中に入る、
正面に日本にも昔にあったような草かなにかの屋根をもつ大きい建物があった。

ガイド付なのでガイドの話を聞きながら歩いていく、
そしてその建物の中に入って式典の話などを聞いてでてくる。

それでメインのお墓はどこにあるのかな?
と思ったら今入っていた建物がそれだった。

じゃあどこに他の王の建物はあるの?
と思っていたらこれ1つで後は何もなかった。


えー、突然ですが世界文化遺産がっかりランキングに変動がありました、
これまではイギリスのストーンヘンジがその規模と見せる施設のなさもありトップでしたが、

カスピ・ドームが一気にダントツトップです!

建物一個でしかも縦3m、横10mぐらいの建物、
それが他の国でもどこにでもありそうな建物。

世界文化遺産はいそいろしょぼいのがありますが、
ここまでのものはなかなかないです。

まあ文化遺産なので別に大きいとか綺麗だからとかはさっぱり関係ないのですが、
それにしてもしょぼすぎる。

こんなに何もない世界文化遺産は初めてだ、
ウガンダの人にとっては歴史的な非常に価値があるものなんだろうけど、
古いかというと実際にはほんの100年前ぐらいからの歴史しかない。

いくらウガンダに文化遺産を1つぐらいは指定したいからといってこれはちょっと・・・

ウガンダはまったくノーマークだったけど、
この世界遺産は見ておく価値があります。
ここよりしょぼい世界遺産はなかなかないです、
一緒に旅している2人はアジアを1年半近くかけてまわっていますが、

これが一番しょぼかった!

といってました、
南米とヨーロッパをまわった私もそう思うので、
おそらくこれが

世界一ショボイ世界遺産

になると思います。
ウガンダの最大の観光名所のカスピ・ドームにはぜひ訪れておきましょう!

一応弁解しておくとウガンダの自然遺産のほうはどこも綺麗でいいところらしいです。








世界一ショボイ世界文化遺産のカスピ・ドーム




『夜でも安心ルワンダ』

ウガンダを1泊ででるという久しぶりの高速移動パッカーぶりを発揮してルワンダへと向かう、
ルワンダの首都キガリへもカンパラから直行バスが出ていてこれもまあまあ快適だった。

国境で足止めを食らったこともあり予想していたよりはかなり時間がかかり、
12時間かかってついたらもう午後8時だった。

ホテルを探して落ち着いたらもう午後9時過ぎ、
今日はバスは朝からほとんどずっと乗っていて昼も食べていないので夕食を食べに行くのだけど、
ルワンダは首都とは思えないほどかなりの田舎っぷりを発揮していて、
この時間だと店という店がすべてしまっている。

しかも真っ暗で危なそうだけどこのまま何も食べないのも辛いのでとにかく出て通りを歩いてみる。

しかし明らかに何もなさそうでどうしようかと思っていたら、
その辺に若い人がいたので恐る恐る近くにやっているレストランがないかきいてみる。

すると教えてあげるからついてきなよ、
といわれてかなり警戒したけどまあ2人しかいないから様子を見ようとついていく。

おそらく一番の繁華街の通りであろうという道に出るけどさっぱり店はやっていない、
銀行とかはいくつかあってその前に銃を持った警備員が何人もいたので、
最悪何かあったらあそこに駆け込めば何とかなるな。

と思いながらついていく、
歩いていくとなぜか人が増えていき、いつの間にやら4人になっていた。
こっちが3人なのでこれだとちょっとやばい。

こんなときは3ヶ月も一緒にいてすでにチームワーク抜群の3人は、
何もいわなくてもそれぞれ距離を置いて前と真ん中、後ろの方と離れて逆にその4人を囲むように歩く。

これで何かあったら誰かは逃げ出せるので助けを求めることができるだろう。
アフリカなのでもちろん貴重品は持ち歩いていなくて強盗にあっても被害はほとんどないけどね。

そのままついていくと5分ぐらい歩いたところに確かにやっているレストランがあった、
他にはさっぱりなかったのでついてきてよかった。

そしてこの後どうなるのかなーと思って、
とりあえずメルシー(フランス語でありがとう、ルワンダはフランス語圏)というと、
特に何を要求されるでもなくそのまま、
じゃあな、見たいな事を言って4人で歩いて去っていった。

一応待ち伏せされても怖いのでちょっと見ていたけど特に何もないみたい、
ルワンダ人はどうやら非常に親切なようだ。

そしてレストランで食事を食べようと思ったけど、
国境で両替はしたもののそこまで多くは変えなかった。
当初の予定では午後3時にはついているはずだったので街中で変えるつもりだった。

しょうがないのでとりあえず近くの銀行にいってATMで下ろそうとするけどおろせなくて、
店の人に聞いて別の大きい銀行へといってみる。

しかしこれがまた結構歩いて遠かった。

ナイロビなんて午後6時以降は歩けたものじゃないのに今は午後10時近く、
そんな時間にアフリカの首都(首都はだいたいどこも治安が最悪)の町を歩いていいものなのか?
と思ったけど、

はっきりいってここで強盗とかに会うのはかなり難しい
というのも、

人も車もまったくいないから

本当にまったくいなくてここはゴーストタウンか?
というぐらい。
いるのは銀行とかの警備員ぐらいで逆にセキュリティー抜群といった感じ。

午後10時で人も車もさっぱりいなくなる首都なんてなかなかない、
ルワンダ、ウガンダはアフリカにしては治安がいいことでも有名だけど、
それはただ単に寄る人がさっぱりいないから犯罪が起きようがないのでは?というぐらいだった。

結局クレジットカードのキャッシングができるATMはなくてもどってあるお金で夕食を食べて戻ってこの日はそのまま寝た。


『アフリカ最大の見所』

ルワンダにはルワンダどころかアフリカ最大の見所とバックパッカーの間では有名なところがある。

ほとんどの人はルワンダにはここに訪れるためにきていて、
アフリカ最大の見所というようにいう人も非常に多い。

そのアフリカ最大の見所というのが首都のキガリより南に200kmぐらいいったところにあるギコンゴロという町にある

虐殺記念館

その名前からしてすごいんだけど、
その内容はさらにすごい。


その名の通り虐殺の記念館(英語ではメモリアルとなっている、なので祝うように記念するわけではなく、記憶に残すためのもの)

1994年にルワンダとブルンジで起きた事件で、
ある事件をきっかけに多数派部族が少数派部族を虐殺し始めた。

その虐殺の規模がものすごくて虐殺による死亡者は3ヶ月で50万人とも80万人ともいわれている。

本当にただ一方的に多数派が少数派を無作為に殺していったらしく、
被害者は老若男女問わず、小さい子供なども多く含まれている。

そんな暗い歴史を忘れないようにと建てられたのが虐殺記念館。

当然私達もここにくるためにウガンダを経由してルワンダに来たのでいってみる。


ルワンダも自然豊かなところで行く道すがらは日本の田舎の風景みたいなのどかな風景がひたすら続いていた、
こんなのどかなところでなんでそんなとんでもないことがというぐらい。

道にいる人を見るとこの人も虐殺にかかわっていたのだろうか?
とか考えてしまう。
ルワンダはある意味アフリカ一凶暴な国なのかもしれない。

虐殺記念館はそのあたりで虐殺が大量にありその近くの建物をそのまま利用して使われていた。

ついて案内人に連れられてその建物へと行く、
この案内人も虐殺の被害者で頭を殴られて頭蓋骨が陥没していた。

いよいよかと思うとすごく緊張してかなりドキドキする。
そして長い平屋建ての建物についてドアの中に入ると・・・

すごい数の死体が机のようなところに無造作に並べられている。

当初の情報では白骨化した遺体で匂いもすごいと聞いていたけど、
それは間違いですべて石灰化何かで固めてあってそれで白いから白骨化したと思ったみたい。
匂いも今はなのかもともとなのかそんなにすごくはなかった。

でもその死体はやはりすごかった、
1つの部屋に20~30体ぐらいが並べられていて、
それがこの建物だけでも10部屋ぐらいある。

案内人は写真をとってもいいよといってきたけど、
とてもじゃないけど無理!
そんなことをする気にもならない。

見て何を思ったらいいのかもわからないけど、
次のドア、次のドアと見ていく。

子供や赤ちゃんの遺体もあったりして足が折れていたりもしてかなり痛々しい。

でも逆にこんなにいっぱいあると、
これは映画のセットか何かだろうか?
とすら思えてしまって感覚が麻痺してしまう。

普通は1つの建物を見たら(もしくは数部屋で)みんなもう十分で帰っていくみたいだけど、
私達がじっくり(といっても何を考えるでもなくボーっと夢を見ているような感じで)見ていたら、
案内人はさらにいつもはあいていない次の建物のドアの鍵も開けていく。

もう十分です!
といいたかったけど言葉にもならないのでさらに続けてみていく。

あまりの死体の数に何があったらここまで大量虐殺になるのだろう?
と考えるのが精一杯だった。

見終わって入口に戻って寄付をしておく、
ここは今は新しい大きい建物を建設中で今年中にはオープンするらしい、
その新虐殺記念館は、
パネル表示があって事件の背景とかの説明や、ムービーで虐殺している状況などが見れたりするらしい。

あんまり見たくはないけど、
ただ死体をひたすら見せられてもまったく実感が湧かない、
一応ガイドブックで事件の背景らしきものはちょっと読んで知っているけど実際にどんなんだったのかはまったくわからない。

できれば今見れるところだけでも見せてもらいたかったけど、
まだ誰も入場させたことがなくてそれはできないといわれたのであきらめた。

帰る道すがらも気分はやっぱり思い、
本当にのどかな雰囲気の国だけにあんなに大量虐殺が起きたのは不思議でならない。

ガイドブックによると虐殺をしていたのは若者が多かったと書いてあったけど、
何を思ってそんなことをしていたのだろうか?


首都のキガリにもどってまた夜遅くなりどこで食事しようかなと人に聞くと、
すぐにじゃあ連れて行ってあげるよ!
といって案内されそうになってしまう。

いやそこまでしてもらわなくてもいいです、場所だけ教えてといって断らないと本当に案内されてしまう。

先のギコンゴロにいくバスはどこからでるの?ときいたときも、
ついてきなよ、といわれてそのまま案内されて5分ぐらい歩いてついてチケットを買うのにフランス語がわからないので通訳までしてくれて、
そのまま何を要求するわけでもなく終わったら帰っていく。

ルワンダはなんて親切な人が多いのだろうか、
そんなルワンダの人がどうしてあんな大量虐殺をすることになってしまったのだろう?

そのギャップがあまりにもすごくて結局大量虐殺のイメージがさっぱりわかなかった。

ルワンダは結局2泊しかしないでタンザニアに出国してしまったけど、
虐殺記念館は確かにすごいところだった。
でももう少し背景とかがわかるように工夫しないとちょっと意義が薄れてしまう。
できるだけはやく新虐殺記念館が開館してほしいものです。

あれだけすごいものだからもしかしたらアウシュビッツみたいに世界遺産に登録されるかもしれない、
でもまともに死体を見れてしまうからさすがにちょっと普通の人が来るようなところではないかなー。

でもよい社会勉強にはなると思うので機会があったらぜひルワンダの虐殺記念館を訪れてみてください。

アフリカ最大の見所というのはさすがにどうかと思うけど、
世界でも稀に見ない貴重なところです。







虐殺記念館の建物の1つ、それぞれのドアの中に大量の遺体が収められている

この写真撮るぐらいで精一杯です、なかなんてとてもとても・・・





私達は結局ウガンダ1泊、ルワンダ2泊でたって3日で2カ国をまわってタンザニアへと移動した。
それまでがマダガスカルに3週間、モーリシャスに2週間(うち1週間はビーチでゆっくり)していたのでかなり高速移動に戻った。

この先は一気に南アフリカのケープタウンまで高速移動で駆け抜けていく予定です。

投稿者 nabe : 20:18 | コメント (0)